サークルの紹介
その高いクオリティに心ときめかせた会員誌 「EXTENSION」。
懐かしのバックナンバーに再会。
引き込まれたくて止まない世界観に、大人ごころがまた、満たされる。
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2008年6月
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時間(とき)を蠱惑(こわく)する緋色塔(レンガいろ)の街
ミスティでミステリアスなロンドンの白い夜は、テムズからやって来る。ロンドンの長い歴史を溶かして、音もなく流れるテムズの川面を滑り溯ってきた露が、タワー・ブリッジ、ロンドン・ブリッジ、ウォータールー・ブリッジと、ひとつずつ橋を呑み込み、やがてウエストミンスター・ブリッジへとその白い触手を伸ばす。ロンドンの町を白い帯がノースとサウスのふたつに分断する。やがてそれは川をあふれ、エンバンクメントからシティへ、そしてパーラメントハウス(国会議事堂)からバッキンガムへと彷徨う。女王陛下も霧に包まれる。
赤いレンガの町並がすっかり霧に包まれたころ、ロンドンが沈んだ白い夜の海に、孤島のように浮かぶビッグ・ベンが、ミッドナイトを告げる重い鐘の音を響かせる。その鐘の音に時間は立ち止り、眠っていた歴史が起き上がる。ハイドパークからピーターパンが飛び立ち、深い霧の底に埋もれたロンドン塔から、幽閉(ゆうへい)されていたナイトたちの溜息が洩れる。白濁した夜の海を泳ぐ黒い影は、リア王(シェークスピア)の狂気?ヒースクリフ(嵐が丘)の亡霊?切り裂きジャック?オレンジ色の空軍マークを霧に滲ませて、タクシーが走り去る。
ロンドンの幻想的なナイト・ツアーへ、ようこそ!
2008.06.26 15:58:27
モータースポーツの発祥の地、紳士の国イギリス。イギリス紳士は、常に人生の楽しみ方の王道を行く。
12気筒5300ccのスポーツタイプのジャガーに乗りながら、人っ子ひとりいない緑の田舎道を、時速30マイルの制限速度(リミット)を守って走る贅沢。少々交通量が増えてもラウンド・アバウト(信号のない交差点)が最善だと信じる信念。正しいと思うことをやり通す意志の固さ、頑固さでイギリス人の右にでる国民はいない。タクシーは黒、バスは赤、新聞はザ・タイムズ、紅茶はフォートナム・メイソン、そして国旗はユニオンジャックと決まっているのである。決めたことを守れないヤツ、朝刊をネクタイをして8時に読めないようなヤツはイギリス人にはなれない。同じ人生の達人でもイタリア人やアメリカ人とはウエイ・オブ・シンキングが違う。
イギリス人紳士の人生の楽しみ方のルール、それは「怠惰は快楽の味を損なう」。この国は僕等に快楽のトラッドを教えてくれる。
2008.06.20 11:54:17
イタリアでの旅を終え、「紳士の国イギリス」へ、EXTENSION around the world!
2008.06.20 11:47:30

夜遅く訪ねて来た日本人に、グラウコは事情を説明しようと試みた。つまり、母親が入院したためにペンシオーネは休業中であることを。
「一人分のベッドなら簡単に作れるわよ。先週落として割ったシャンパン代くらいにはなるでしょ」奥からローザが出てきた。その髪は、フレスコ画に使われているのと同じ、深い金色だった。はね上がったまつ毛の下には、見えているのかと心配になるほどに透き通ったブルー・アイズがはめ込まれている。「何日滞在するの?」「一晩だけで、寝るだけでいいんです」旅人は、この英語を話せる女神に哀願した。彼がドアを叩いた安ホテルは、ここでもう八軒目だった。観光地に夜遅く来るものではない。
「神様からの贈物よ。食べてないんでしょ」ローザは日本人の部屋へ食べ物を運んだ。彼女の言う通り、彼は腹ぺこだった。まさに天の助けだ。気取りなく山盛りにされた海老と辛口のワイン。それは料理というよりも、食料であった。しかも、とびきりうまい食料。彼女は無表情に「日本人と話したのは初めてだわ」と出て行った。
真夜中、日本人は喧嘩の声に叩き起こされた。グラウコとローザだ。ドァが開いてローザが飛び込んで来た。そのまま日本人のベッドに逃げ込んだ。グラウコは入口に立ち、ローザを罵倒する。彼女も彼を罵った。それが何時間つづいたのか。帰りぎわにローザは、「明日の朝食は?」と泣きながら日本人に尋ねた。「七時に食べたいんだけど、早過ぎるかな」「だいじょうぶよ。私はもっと早起きよ」と笑って見せた。日本人はドアの鍵をかけると 「フレンツェの夜…」とつぶやいてみた。すると、さっきの修羅場も、疲れも、海老も、ワインも、すべてが美しく感じられた。明日の朝、ローザの頬におはようのキスをしてしまおう。キザな作戦の成功を祈りながら、シーツの中で寝返りをうった。
翌朝、ローザは姿を消していた。グラウコは不機嫌だった。ローザのことを訪ねたが、マトはずれな回答ばかりが返ってきた。もともとグラウコの英語は当てにならない。
日本人はずるずると滞在しつづけた。まるでローザの帰還を待ってでもいるかのように。グラウコは、二日に一度のベッドメークが小遣いになることを、そう悪くは思っていなかった。二人の会話はまったく噛み合わなかったが、なぜか気は合うのだった。
さて、日本人が明日発つという晩、二人はビールとワインで出来上がった。そのまま表へ出ると、カンツォーネを唄った。グラウコは上手かった。日本人のカンツォーネはかなりいい加減だった。二人の声は春の夜空にどこまでも響いた。唄いながら街を一周する時、いくつかの窓からは怒嶋られ、いくつかの窓からは薔薇の花が投げられた。そしてペンシオーネに戻ると、ここの窓からも二輪の薔薇が投げられたのだった。「ローザ!」二人は同時に叫んだ。日本人はグラウコよりも先に階段を駆けのぼると 「今まで寝てたの?」と彼女の頬にキスした。ローザは声をあげて笑った。グラウコは彼女を見つめると、何も言わずに唇を合わせた。
グラウコの手から落ちた薔薇が、二人の足元を飾った。日本人は部屋に戻ると鍵をかけた。そして荷造りを始めた。

2008.06.12 13:54:18
1988年8月14日、一人の巨人が20世紀を駆け抜けた。
4週間後、モンツァ。F1イタリアGP。フェラーリが、久し振りに1-2フィニッシュを決めた。このとき、真紅のF1カーのボディで、モデナ・イエローの地に黒い跳ね馬がひときわ勇躍したかに見えた。
フェラーリの生みの親、エンツォ・フェラーリは1898年2月18日、モデナ郊外エミリアに生まれた。10歳のとき、父に伴われて行ったボローニャでロードレースを見る。大地を蹴って優勝した巨大なフィアットに、彼は魅了された。1919年、エンツォは念願のレーシング・ドライヴァーとなり、20年タルガ・フローリオ以来数々のレースに好成績を残し、"アルファ遣い"として勇名を馳せる。23年、RLタルガ・フローリオを繰り、ラヴェンナのレースに総合優勝。感動したイタリアの撃墜王バラッカの両親から、息子が生前白分の戦闘機に描いていた跳ね馬のマークを贈られる。これがフェラーリの象徴の"カヴァリーノ・ランパンテ"だ。
コクピットからリタイアしたエンツォは、29年スクデリア・フェラーリを創設、アルファ・ロメオに幾多の勝利をもたらす。次いでアルファと訣別、しばらくフェラーリの名を冠せないクルマづくりを続ける。47年、12気筒ティーポ125Cが、ローマ・カップに総合優勝。フェラーリの名を一躍世界に知らしめる。翌年ティーポ166でタルガ・フローリオ優勝、ミッレ・ミリア優勝、49年ル・マン24時間優勝と快進撃は始まる。以来多数の名レーシングカーと、その血を継ぐ名ロードカーを輩出。50年から87年シーズンまでに、エンツォのF1カーは106回ポール・シッターとなり、93回優勝、8回コンストラクターズ・チャンピオンとなった。
「自動車は、第一に夢そのものである」と言ったエンツォは、フェラーリ創設40周年を記念するF40を最後の置き土産に世を去った。美人とパスタとランブルスコをこよなく愛し、ヴェルディのオペラ、ダヌンツィオの文学を好んだ帝王は、スピードに夢を託しつつ逝った。
2008.06.05 13:09:33
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