サークルの紹介

 まだ知られていないポルトガルの魅力をお伝えします。
 今回は、リスボンとその周辺およびアレンテージョに行ってきました。

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 2006年11月 

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 10月18日 19時

 リベルダーデ通りが終わる端がロシオ駅になる。一見、駅とは分からなかった。ファサード(建築物の正面デザイン)は、馬蹄形の入り口、ロープや錨のモチーフという大航海時代のマヌエル様式をベースに、1890年落成した。この駅は、かつてのリスボン中央駅で、詩人ペソアが語るリスボン観光案内(1925年著・邦訳は「ペソアと歩くリスボン」(近藤紀子/訳 彩流社/刊 1999年)では、セントラル・ステーションの誇り高く、ガラス扉から始まり各フロアの説明が丁寧に描かれている。

 起伏のある地形を生かして、東西の入り口に階差を設けたうまい作りだ。その後、ヨーロッパの大都市によくあるように、方面別のターミナルが生まれて、中央駅ではなくなる。

 2006年夏には終わる予定の改修工事が済んでいないのか、馬蹄形の入口は塞いであり、博物館、展覧会場のような面持ちだ。


 駅の向かいが、ドナ・マリア2世国立劇場。ペソアのリスボン観光案内では、アルメイダ・ガレット国立劇場(19世紀のロマン主義小説家、劇作家、詩人の名を冠した)といったようだ。
 サン・フランシスコ・ダ・シダーデ教会にあった6本の円柱、ポルトガル演劇の父 ジル・ヴィセンテ(1465?-1536?年)の立像などの外観も、玄関ホール、天井画もすばらしいと賞賛する。
 ハコはともかく、中身の演劇、オペラ、バレエにも、年になれば興味が持てるようになるのだろうか。後の楽しみとしてとっておく。
 
 マリア2世(1819-53年)はブラガンサ王朝の統治女王(在位:1826-53年)。父はブラジル皇帝ペドロ1世、伯母はナポレオン1世の皇后マリー・ルイーズ。ポルトガル宮廷のブラジル亡命中、リオデジャネイロで生まれた。新大陸で生まれ育った最初で唯一のヨーロッパ君主。
 1821年、ポルトガル王ジュアン6世が没すると、ブラジル皇帝ペドロ1世に継承権が生じたが、ブラジルが離さず、ペドロは7歳の長女マリアをポルトガル女王と宣言した。これがマリア2世である。
 マリア2世は在ブラジルのまま、叔父(父の弟)ミゲルと婚約したが、ミゲルはマリアを無視して王位を僭称、2人の国王が並立し、絶対君主保守反動政治を行うミゲルと自由主義の立場にたつペドロで兄弟が相争う内戦に突入した。
 ペドロは、ブラジル皇帝位を5歳の長男に譲り、軍を率いて帰国、1833年7月リスボンに入城、内戦は1834年ミゲルの敗退に終わり、同年9月、議会は15歳のマリア2世に国王権力を正式に委譲した。

◆参照 「マリア2世 (ポルトガル女王)」(2006年11月26日(日) 13:20 UTC の版)『マリア2世 (ポルトガル女王)<Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A22%E4%B8%96_%28%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E5%A5%B3%E7%8E%8B%29&oldid=9005170 より抜粋


 劇場が南面するのがロシオ広場だ。ここを中心にした一帯をバイシャ Baixa 地区という。バイシャとは低い場所という意味。先の大通りリベルダーデ通りが、両側に丘を持った谷のような感覚で下ってきたので、それが実感できる。

 広場の中心にドン・ペドロ4世像(1870年建立)がある。土台の4面には、16のポルトガルの都市を示す盾と「正義」「力」「賢明」「節制」の像が配されているのだが、見ただけではよく分からない。後にガイドブックを読んで合点する始末。予習をしておけばなあ、「4つのお願い」どれもない貧者にもご利益があったかも。
 南北二基の噴水がこの4世像を挟む。王様の名前が交錯してしまうが、このペドロ4世というのはポルトガルでの帝位で、上で言うブラジル皇帝ペドロ1世のこと。つまり、広場で父娘が向かい合うようになっているのだ。もちろん彼らの生存中のプランではなく後年の市民が決めたことだ。 揺れる母国に帰り、骨肉の争いを経て、安泰を願った親子。父は繁栄する市民を眺め、娘は平和の象徴である劇場を擁して、輝くテージョ川を見ながら笑っておられるのだと思う。 
 

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2006.11.26 23:20:19

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 10月18日 日没ころ
 
 引き続きリベルダーデ通りを下って行く。軒を並べるホテルから、観光客が出てくる。旅装を解いて、夕食をとりに出向くのだろう。「この欧人にも、この時間帯の街並みは「サウダーテ」だろうな」とひとりごちて、驚く。葡人も欧人なのに。なぜ? そう、よく見れば、見上げるような体躯の人があまりおらず、碧眼でないからだ。金髪でなく黒髪だ。ゆえ、親しみを感じるのだと思えてきた。さらに、表情に特有の憂いがある。すこし恥じたような、すこし照れたような、伏目がちな表情。こんな外見と気質。どこかの国にもあったと思うのだが、残念ながら、渋谷の街には、今は見当たらない。

 この大通りにつながる何本もの小路にこそ、哀愁がある。石畳の坂道に、つくりの同じ建物が並ぶ。高さ規制があるので遠近感が保たれる。黄昏時に、まだ赤くなりきれない街灯が行き交う人を照らす。奥の骨董屋から、LPレコードを抱えたサザン・桑田さんが出てきそうだが、この風情ではスキップは似合わない。

◆参照 「ショコライフのCF」(2006年11月26日(日) 13:00 UTC の版)『明治製菓>ショコライフ』 http://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/chocolife/


 さて下り道の終端が、レスタウラドーレス広場だ。訳せば「復興者」広場。ポンバル侯のところでいった、スペイン統治の苦渋の60年から再独立を果たした記念碑オベリスクだ。四角柱で先端にピラミッドが乗る形から連想できるように、古代エジプトの神殿などの構成要素。王の偉業を称えるというのが出自だろうが、列強の侵略の時代からは、戦利品という意味合いが強いのだという。バチカンの大聖堂広場に大きなものがあるし、パリのコンコルド広場のものも然り。特にこのナポレオンが奪ってきたものは大きそうだ。が、あいにく実物を見たことはない。日光のリトルワールドで見たかもしれない。カリフォリニアはサンノゼ「バラ十字会エジプト博物館」の中庭で見たと思う。

◆参照 「バラ十字会古代エジプト博物館」(2006年11月26日(日) 13:00 UTC の版)『Rosicrucian Egyptian Museum & Planetarium』
http://www.egyptianmuseum.org/

 いつかピレネーを越えて、それらも見てやろうと、残照の広場に佇みオベリスクを目に焼き付ける。


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2006.11.26 23:20:03

 10月18日 黄昏とき

 ヨーロッパ旅行の楽しみは、間違いなく街歩きにある。町でなく街としたのは、石畳のある街路、並木、商店街が楽しいからだ。石とレンガの街づくりに、歴史を重ねてきたヨーロッパを、木と紙の文化の日本人として畏敬の念を感じるからだ。逆に、寺社仏閣、書院造り、建具、襖絵などをみるヨーロッパ人は何を思うのか。やはり畏敬の念で接してくれるのだろうか。


 訪れるまで知らなかったのだが、リスボンも震災の悲しい過去を持つ街である。「7つの丘を持つ都」と呼ばれるリスボンの起伏を作ったのは、何度かあった地震であり、大航海時代が終わって、英仏が覇を唱えたころの1755年の大地震が、この街を廃墟にした。

 失意の中、この街を復興して、いま眼前に広がる街づくりの計画を打ち立てた男たち。このグランドデザインを描いた慧眼に頭を垂れつつ、黄昏の迫る街に繰り出す。


 起点は、ポンバル侯爵広場だ。リスボンのメインストリート、リベルダーデ通りの端であり、そこがエドゥアルド7世公園の南境にもなる。この「リスボンのシャンゼリゼ通り」といわれる大通りを下っていく。オヤジ、意気揚々と軽やかに歩を進めたが、帰りは息が上がった。


 葡国がスペイン統治(自治国家)にあった60年間から再独立を果たし、ブラガンサ朝が興こる。世界史の構図では、葡+英 vs 西+仏+蘭 であり、植民地ブラジルの砂糖、金、ダイヤモンドによって、葡国が支えられている時代である。葡国はこれら流入する富を、贅沢品を初めとする輸入に費やした。すべてが消費に回り、金はイギリスに流れた。産業資本と金本位制経済をイギリスが、わがものにするのはこの後である。

 その倦んだ時代に、即位したジョゼ1世が登用したのが、貴族セバスティアン・ジョゼ・カルヴァーリョ・イ・メロ、のちのポンバル侯である。 王権を強化して経済改革をすすめ、工業化を果たす。この辣腕を振るうきっかけになったのが、大震災の復興である。地震、津波、火災で、1万戸の建物が崩壊し、1万数千人が犠牲となったという。このとき、強権を発動し、民生の安定と都市の再開発を行なった。注目すべきは、5年以内に復興できないものは中心部から去ること、王宮広場を商業施設に変えたこと、貴族の館を山側に移すこと、教会も含めて建物の高さ規制をしたことなど、啓蒙主義者の数世紀を見据えたグランドデザインを行なったことだ。その碁盤目の街の背骨がリベルダーデ通りである。
 この壮大な都市の仕様は、ポンバル様式と名まで残した。

(写真が暗くて哀しい。ここからリベルダーデ通りを見おろす写真は、世間にはたくさんあるので、そちらをご覧ください。もちろん「地球の歩き方」にも、緑の季節のものが綺麗に載っています)

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2006.11.21 17:45:27

 
 10月18日 15:00

 さて、ワイン蔵元・レストランを出て、それほど行かぬうちに、サン・シマオン・アルテ( S.Simao Arte) に着く。例の、青いタイル アズレージョの工房だ。

 早速、職人さんが粘土を取り出すところから実地で見せてくれる。粘土を伸したものを型で切り出す。出来上がりが、15センチ四方として、一周りくらい大きなもの。これを天日で乾かす。あたりには、乾燥棚がいくつもあって、数か月の間、下絵の順番が廻ってくるのを待っている。ただこれで絵付けではない。釉薬(ユウヤク・うわぐすり)を塗って乾かす過程がある。これを塗らないと、粘土の性質がそのままで、器やタイルにしても用途や機能が限られてしまう。つまり、色は粘土のままだし、目が詰まっていないので、水漏れしてしまう。この薬品は、成分の灰に含まれるアルカリ成分が作用したり、ガラス成分が融け出て作用したりする。

 2度目の乾燥を終えるといよいよ絵付けだ。トレーシングペーパーに原画があって、謄写版のような原理で、下地にデザインを転写する。それを小さな筆で、着色していく。華やかな色を使うこともあるが、たいていは地味なグレーのインクでなぞっている。これにコバルトが含まれていて、窯入れして焼くと、あの青に変わるのだ。


 このコバルトを使った青色。中国唐代に開花して、時の奈良朝のわが国の人々も魅了した。もともとは、アラビアがルーツであることは先にも述べた。最も栄えたのはモンゴルによる元の時代。景徳鎮に代表される大産地ができあがった。それがヨーロッパ人を虜にする。

 大航海時代が幕開くと、最初に開拓を始めたアフリカ。ここがコバルトの産地であった。シルクロードの長い道のりを越えて、ようやく手に入った青い陶器。その秘薬が、開拓したばかりの地にふんだんにあったのだ。ポルトガル人、スペイン人が狂喜乱舞したのが目に浮かぶ。

 また、偶像を禁じたイスラムでは、幾何学模様しか作らない。スペインではその名残が強く、やはりこの制約があった。これに対して、波柄、花柄はおろか人物画まで描ききってしまうポルトガル。そこにこの国の意地があるのだと司馬遼太郎さんはいう。確かに。数日後、回廊を絵巻のように、聖書のシーンのアズレージョで埋めてしまった修道院をじっくり見る機会を得る。


 手にした青で、唐や元に負けない実用品を作ろうとする情熱が、やがて工芸品、美術品を生んでゆく。今のこの世の中も、ダイオードの青い光という、夢を現実にするため、多くの情熱が傾けられた。青い薔薇もそう。青を制して、盛を征する。青にはそんな魔力があるのか。
 普段は、思いもしない、色と形をこんなふうに考えながら、リスボン市内に戻る。


 まだ5時で明るい。天気も悪くないので街歩きをしようと思う。


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2006.11.16 23:38:17

 
 10月18日 13:00

 広大な敷地に広がるブドウ園。レストランの脇は柑橘系の果樹園のグリーンが鮮やかだ。ハーブも植えられ芳香が漂う。摘まれたブドウを砕く槽があり、ラボが併設され白衣を着た若者が働く。出荷される製品は TOJO というブランドだという。地下にはステンレスのタンクが何基も据えてある。干草の ― 陽光にあたって物が乾いた匂いと黴くささが混じった― 匂いに、アルコールの美薫が混じる。5部屋あるアコモデーションもみせてもらう。明るく開放感のある清潔な部屋だ。

 さて、待望のランチ。お約束の TOJO ブランドをいただく。アルコールがダメな場合は、水 (agua) を飲むが、見ていると炭酸入り (com gas) を選ぶ人が半分くらいのようだ。慣れないと炭酸ガスで膨満感を訴えそうだが、適度のガスが胃腸を動かし食欲が増すようだ。飲み方の巧拙もあるのかもしれない。が、水でなくワインを選んでしまうわたしは、いつでも本菜いらっしゃい!である。

 前菜 (entradas) がでる。透き通ったガラスの平皿に盛ったサヨリ(だと思う)にキャビアのソースがかかったものとイクラのカナッペである。ただし大判焼きのような大きさ。魚卵好きはこれだけで2杯目のワインに突入だ。
 グラスの減りを見て、新しいコルクが抜かれる。全銘柄を飲ませるつもりならと、こちらも本腰を据える。問題の血糖値だが、今朝も90台でなんら不安なく、南欧食文化と対峙する。

 次の前菜が出る。このあと忘れるくらいの皿が出る。同行者のメモによると9皿出た。


 この長い前奏曲の合間にワインの歴史を学んでおく。

 ワインも長い歴史を持ち、新石器時代、メソポタミア文明が起源だという。このシュメール人は、よほど呑兵衛だったようでビールも作っていて、両方ともエジプト、ギリシャへ伝わり、地中海沿岸に広まったらしい。ビールの方が作りやすかったので、ビールは常用、ワインは晴れの日としていた史実もあるようだ。現在のワインの製法に達したのは、ローマ時代だという。

 ヨーロッパには、キリスト教と共に広まる。教会の僧院でブドウの栽培、ワインの醸造が行われた。後に訪問する菓子類も修道院で作られたものという説明があった。キリストが、わたしの血だ という教えなので、酒を飲むことなかれ とする宗教ではない。というより、いろいろな儀式で赤ワインを使っている。このあたりのストーリーは、日本人には意味がよく理解できないが、能天気に「酒が酒が飲めるぞ、酒が飲める飲めるぞ」でもないと思う。
 また今回の旅で、大いに意識したイスラム教はどうかというと、教義により酒はご法度であるが、トルコ、エジプト、レバノン、ヨルダン、パレスチナ等はよいようだ。

 と述べたあたりで、なんと、サツマイモのてんぷらが出る。天婦羅とか天麩羅など漢字でも書くが、葡語伝来語である。味付けを意味する temperar が転じたようで、特に揚げ物を言ったようではない。同様なことばが、カルタ(カード全般。カルテと同根)、金平糖(砂糖菓子)。そのものずばり定着したのが、カッパ(合羽)、コップ、シャボン、タバコ、ボタン、パン などである。ただし、元気よく「ぱんッ」といっても出てはこない。「パぉん」という優しく言うと、うまいパンを持ってきてもらえる。

 あまり口上が長いと、こういった席では嫌われるのでここまでにして。ペンをナイフとフォークに持ち替える。

 メインに入る前に辞することになって、相手をしてくださったオーナーほか、皆さんで何度もお引止めいただいた。
 シェフは Luis Baena さん。すばらしい腕の持ち主なのだそうだ。ブリュッセルで学んだ後、リスボン、香港、マカオ、リオ・デ・ジャネイロと転戦、かの Paul Bocuse の直下でも腕を奮ったという。多くの5つ星ホテルのシェフを務め、97年香港の返還式典では4,000人の招待客の舌を満足させた料理人なのである
 ネットで拾うと、http://spg.sapo.pt/XdE/665828.html (葡語サイト)という紹介もある。また、この8月には恵比寿ガーデンプレイスのウェスティンホテル東京で、催されたポルトガル料理フェアで来日されていたようだ。メインを戴かず申しわけありません。でも十二分に堪能させていただきました。


(写真:ワインタンク、レストラン内、前菜1 魚卵系、前菜4 ウニスープ、前菜6 テンプーラッ!、前菜9 液体窒素で冷やしたシャーベット のみなさん)

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2006.11.12 16:25:48

 10月18日 昼

 舗装されたドライブウェイをバスは登っていく。何度か折れ曲がっているうちに岩質も変わってくる。

 このアラビダ山脈、世界自然遺産の暫定リストにある国立公園である。
 オオカミ、イノシシ、シカなどが生息していたため、王侯貴族の狩場になって、20世紀初頭に、それらほとんど絶えたといわれる。
 地形は、石灰岩の崖、岩場、洞窟、低木地、コークウッド、松林、雑木林、草地、小川と多岐に富むため、コウモリ、ウサギ、ヤマネコ、ジャネット、ムジナ、イタチ、キツネなどの獣のほか、ワシミミズク、タカ、ハヤブサ、ワシなど保護種を含む猛禽類も多い。なにか判別はできないが、大きな鳥が滑空しているのを車窓から見た。

 途中、ダンプやトラックと行き交う。大きなセメント工場があるらしい。石灰岩を採掘できるからであろうか。サド川の水運で発展したものに違いない。さすが工業都市セトゥーバルである。

 峠で山並を見下ろす。緑の中にオレンジ色の屋根の修道院が見える。風があるので、水面に波が立っている。今日も雨が降るかもしれないという。標高500メートルくらいのここは、強くはないが向きの定まらない風が吹いている。
 同じように曲がりくねった坂を下ってアゼイタオンの町に入る。町といってもオリーブやブドウの畑があり、民家があり、資材置き場があるといったいなかの村である。
 きれいに耕作された畑のむこうに、白いモダンな建物が見えてきた。裏には工場のような建屋もあり、朽ちたベンガラ色の甕が置かれている。ワイン蔵元でありレストランに到着した。
Quinta de Catralvos である。

 余談になるが、とっさに甕(かめ)といってしまったが、壷とどう違うのか、旅のさなか気になり始めた。ネットで調べると、英語では jar あるいは pot 、葡語では、vaso (=英vase 花瓶など)、frasco(フラスコ)というが、厳密な使い分けはないようだ。日本では、人類学の定義で「頸の径が胴周りの2/3以上のものを甕、未満のものを壺とする」とのこと。確かに、時代劇でかまどの脇にあって水を溜めて柄杓で汲むのは甕であり、ギュっとくびれたプロポーションのいいものを壷という。この定義でいうと、さきほどのは甕でなく壷である。大きな壷である。くしゃみをしたら魔人が出てくるところが、左党のわれわれは、しゃっくりが出るほど中身を呑んでしまうので、大魔人もいつリリーフしていいか困っていることと思う。

 酔ううちに「ベンガラ色」も気にかかったが、長くなるので別に譲る。なんといっても、葡国のすばらしさをお伝えするのが仕事だから。すてきな料理とそれにマッチするワインを十二分に堪能しないと、服務規程違反になる。
 だが、しゃっくりの次はあくびが出てきた。


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2006.11.11 23:47:49

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 10月18日 午前11:00

 市街地を抜け、すこし山間に行く。途中に海と思えたのは、サド川の流れだった。

 城壁のところで下車して、アーチをくぐる。快晴で光がたくさん届くので、壁面のアズレージョがきれいだ。

 緩やかな段差を登り終えると、ぱっと視界が開ける。
 いまは老夫婦がゆったりとお茶を飲むテラスも、甲冑を纏った騎士たちが慌しく行き来する見晴台であったに違いない。ここは砦であった。

 16世紀の終わりごろ、葡国は王位継承問題でスペインにつけいられ、領土として統治された。この60年ほど続くフェリペ朝の初代フェリペ1世(スペインではフェリペ2世)が、イギリス海軍の襲来に備えた要塞がこの城である。

 眺めはすばらしい。サド川といわれても海にしか思えない水面がプラチナのように光る。そこに蒔絵のように、散らした貨物船や漁船がゆったりと動く。セトゥーバルの町を鳥瞰し、トロイア半島も見える。こうして工業都市であることが初めて認識できた。

 現在、この城はポザーダとして宿泊客を受け入れている。ひねもすこのテラスで、ビッカを啜って、ヨーロッパの歴史を読み返すのも悪くない。

 山側を振り返れば、オリーブの林のむこうにアラビダ山脈を望む。これからその山越えをする。


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2006.11.08 13:35:25

 10月18日 午前10:00

  セトゥーバルの街に入る。国内第4の大きさの工業都市だというのだが、あまりそんな感じはしない。整った並木の街路にバスを止めて、古い町並みの小路を入っていく途中に観光局がある。床面がガラス張りで地下の基礎が見える。掘り返した遺跡のようで、説明によると魚醤を作っていた跡だという。
 魚醤とは、魚介類を塩漬けして発酵させた調味料。タイのナンプラー、ベトナムのヌックマムが有名。日本では、秋田・しょっつる、能登・いしる、香川・いかなご醤油がこれに当たる。古代ローマにおいては、「ガルム」という魚醤が使われていた。その習慣や技術が残されているところに、今現在はアンチョビーやサーディンのペーストを作っているところが多い。むろん、この場所が魚臭かったり、猫が群れていたりはしない。集うのは観光客だけである。

 もうすっかり見慣れた石畳はミゼリコルディア広場だ。鳩に餌をやる人たちで混んでいる。ここを抜け、商店街を経て、サン・ジュリアン教会のあるボカージェ広場に出る。

 
 街路樹のきれいな通りに戻る。真夏の夕方には、ここがオープンテラスで、魚の焼ける香りでいっぱいになることだろう。イワシの塩焼きから滴る脂に、火がついて煙が立ち上る。幻を振り払ってバスに戻る。昼にはまだ早い。

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2006.11.07 17:33:26

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(図版は「地球の歩き方 ポルトガル」より転載加筆しました)

10月18日 (晴れ)

 今日は、アラビダ半島に渡る。コスタ・アズール(青い海岸)と謳われる地域がメインになる。

 イベリア半島の西端、テージョ川が大西洋岸に注ぐ河口。右岸に首都リスボンがある。ここを囲むように突き出しているのがアラビダ半島であり、河口がまるで湾のようになっている。

 リスボン都心部からこの半島にわたる方法としては、3つある。最も容易なのは、市の南西部、ベレンの旧市街地寄りにある「4月25日橋」を通る方法。かつては、建造したサラザールの名を冠していたが、1974年の革命以降はその日を祝ってこの名となる。上(自動車)下(鉄道)の二層、長さ2kmの吊橋。渡った岸に、巨大なキリスト像「クリスト・レイ」がある。これは、ブラジル・リオのものを模してあり、台座から足元まで登ることができる。リスボン全体の展望ポイントであり、橋とともに入れ込んだ風景は、観光写真の定番である。

 二つ目は、旧市街のカイス・ド・ソドレ駅(まるで音階である)からフェリーに乗船、カシーリャスに渡岸する方法。

 三つ目は、ヴァスコ・ダ・ガマ橋を使う方法。リスボン近郊北東部のサカヴェンとモン・ティージョを結ぶ。全長17kmを越えるヨーロッパで最も長い橋。リスボン万博直前の1998年3月に開通した。ガマのインド到達500周年を祝ってこの名がつく。ユニークなのは、上り(リスボン入り)だけ通行料が課せられ、下りは無料である。

 この橋は斜張橋といって塔から斜めに張ったケーブルで直結して橋桁を支える構造。さきの4月25日橋は吊橋で、建てた塔と塔の間にメインケーブルを渡して、ハンガーロープを垂らして橋桁を吊る構造。吊橋はケーブルが優美な弧を描きワルツの調べであるなら、斜張橋は三角形のシンメトリーが連続するコンチェルトである。

 今朝は、4月25日橋を渡って、鉄道と並走しながらセトゥーバルに向かう。




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2006.11.06 19:01:45

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 10月17日 夕刻、夜

 風雨とも止んでロカ岬を後にする。海岸端の舗装道路は、ビーチリゾートらしくサイクリングロードもあり、右手の砂浜は整備され、新築のレストランも増えてくる。左手山側もこぎれいな洋館が建てられ、ゴルフ場のエントランスもある。
 ギンショという名の海浜である。北にシントラ山系があって、南と西に大西洋があり、乾湿がほどよい避暑地である。おそらく海風・山風も心地よく吹くに違いない。植生も明らかに違う。並木に椰子の木などが植えられている。

 カスカイス、エストリルを中核にしたこのテージョ川右岸河口にあたる一帯を、コスタ・ド・ソル(太陽海岸)という。
 第二次大戦中、中立を守った国だったので、ヨーロッパ各地から戦禍を逃れたいセレブたちが集まり発展した。漁村が避暑地になり、さらに南仏をイメージしたリゾートに変化を遂げた街である。
 リスボンから鉄道と道路が並んで走り、小一時間の距離。近年、やや山側に高速道もできて、時間は半分に短縮された。ホテル、レストラン、カジノ(カッシーノ)、テニスコート、乗馬クラブなどリゾート施設が完備され、ゴルフ、F1、テニス、ジャズなどのイベントが繰り広げられる。その一方で、漁港があり、市場の喧騒があり、夏は海水浴場として混雑する庶民的な顔も併せ持つ。

 王朝、美術、建築、航海など歴史をまったく考えなくてよいこのエリアで、夕食をとる。お招きいただいたエストリル観光局の担当者も南仏系の美人で、シェフが腕を振るってくれた料理もおしゃれなヌーベル・キュイジューヌといったらいいコースであった。われわれを意識してか、醤油系、味噌系のソースも用意するなど気配りがうれしい。生魚を冷えた白ワインで食す。葡国の最初のディナー、満足満腹で終える。明朝もごはん前にラジオ体操をするのだと固く誓って、長い一日を終える。

 


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2006.11.05 15:10:10

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