子どもを自分の力で何とかしたいと思う。しかし、自分の力には限界がある。また、自分の力だけに頼りすぎるとかえってそれが仇になることもある。
子どもは、1年間で育つものではない。日々成長し続けている。日々の成長を積み上げ、大きく考えれば、6年間の小学校生活で身につけることもある。
成長する過程でどうしても通らなければならない道もある。身の回りの事について、友達との関係について、学習について、生活について様々な経験を経て成長し続けている。
誰にも共通に経験させていきたいことがあっても、「私はこれが正しいと思う。」と自分の勝手な解釈だけで事を進めることで、トラブルを起こすことにもなりかねない。子どもに理由を聞く時に「だって先生が言ったから。」と責任転嫁する場面に出会うとそのバックにある教師の考え方が見えてくる。「本当にこれでいいのかな?」と思うことがある。
こんなとき、生命に危険が及ぶことでなければ、「それは、いけない。」「それはおかしい。」と子どもには言えない。なぜならば、子どもが混乱をし判断に迷うことになったり、言った教師への不信感になったりしては、今後の活動に支障を来すからだ。
子どもの姿が思いの姿とズレていたとしても、子どもの行動の問題ではない。子どもに責任はない。指導した側に問題がある。指導する前にどんな子には育てたいのかを十分確認したい。そして、そのためにどんな見方や考え方をし、どんな力を付け、どんな行動をさせることがよいのかを一緒に考えたい。
指導のズレは互いの理解の不十分さから生まれてくる。子どもを育てるチームとしての連携があれば、このズレを埋めることができる。
活動をし始めると、つい目の前の行動に気をとられ、どんな子に育てるはずだったのかを忘れてしまうのが私たちだ。そして、目の前の行動に対して注意を払うことになる。その行動についての共通理解があったときに初めて「どの先生も同じ事を言う。」と子どもが考えるようになる。もし、これがなければ、子どもは自分にとって都合のよい方を選んでしまう。
ここで注意を払いたいのは、子どもの心の問題だ。目指す山に向けて登り始めても、辛いと思う気持ちに耐えられないとき、ちょっと休憩をしたいときが人によって異なることと同様にどんな活動についても子どもが一斉に同じ思いで同じ行動をすることはない。子どもがどんな気持ちでどのように取り組んでいるのかを見極め、支えることが必要となる。この支えのための役割が生まれてくる。
・困ったことがあったときに相談できる先生役
・常に先頭をきって、方向を示し励ます先生役
・側にいて、見届けをし、頑張りを認める先生役 等
それぞれの役割について事前に理解し合うことで、互いに関わりを意識し、子どもに当たることができる。そして、教師同士の連携の声かけが生まれる。「〜しておいたから、これ、お願いね。」「ここからは、頼むよ。」「こんな子がいたよ。」「こんな問題が出てきたよ。」などと声をかけ合う。ここには、共通の思いに立ち、強い絆で結ばれた仲間がいる。日々の教師同士の会話の中で信頼関係を作り、いざ活動となったら互いの役割を意識し、助け合う関係ができたとき、子どもは安心して活動に取り組むことができる。
日々の生活に追われ、職場の仲間とどれだけコミュニケーションをとっているだろう。信頼関係の上に教育が成り立っていることは、子どもとの関係だけでなく、教師間にも言えることだ。

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