カジュアル哲学
オーナーオーナー:和寇の末裔   メンバー数メンバー数:13人   最近1週間のメッセージ数:5通
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 従来の思弁的哲学を踏まえながら、日常の諸身辺の問題について、哲学的考察を加えようとするサ−クルです。いわば普段着の哲学です。

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「昔からの伝統だから」「慣習化されているものだから」「国策だから」と、頭から迎合して、懐疑の念も抱かぬ人や「おかしい」と懐疑の念を抱いても、黙って従うのが徳だ、と黙認する人や、これに異議を唱える人を「偏屈」呼ばわりする人が殆どである世の中にも、極めて少ないながら、これを放っておけない「反骨の士」がいる。その人たちを少し紹介しておこう。
・反骨の海軍軍人、水野広徳
 1905年5月の日本海海戦で、日本の連合艦隊が、当時世界無敵と言われたロシアの「バルチック艦隊」を壊滅させ、日露戦争での日本の勝利を決定つけたことはあまりにも有名である。
 水野広徳は、当時海軍大尉で、この海戦に水雷艇長として参加した男である。
 水野は、1911年に、戦記ものの傑作と謳われた、この海戦記「此の一戦」を著したことで、一躍有名になった。
 水野は、第一次大戦後、自費で2回にわたって欧米を視察、大戦の凄まじさを見て、これからの戦争は民間を巻き込んだ「総力戦」の時代になると予想、「空襲で東京は灰になり、女、子ども、老人の死体の山ができる」と喝破した。
 そして、「日本はいかにして戦争に勝つかより、いかにして、戦争を避くべきかを考えることが緊要です」「それには軍備の撤廃が肝要です」と当時の海軍大臣に進言したのだ。
 これか「軍人心理」として新聞に掲載され、発禁処分となり、水野は謹慎処分となった。水野はこれを機に、自由に発言するために、海軍を辞めた。
1923年、軍部が米国を仮想敵国として「新国防方針」を発表するや、それを詳細に分析して、日本の敗北をほ断言した一文を発表。
 満州国建設に対しても、日本を世界の孤児にする愚行だとして反対の論文を発表し、発売禁止となり、水野自身も執筆を禁止されることになった。
 1939年の彼の句
 「叛逆者知己を百年の後に待つ」
は水野の万感の思いに満ちている 


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2009.04.30 18:18:40

こういうことを述べたのは、「懐疑」と言う概念は、古くから哲学で問題になってきたものであり、真理に対する認識の評価という観点からの見解の推移を見る必要があったからである。
 科学の進歩が著しく、生命の神秘であるDNAのメカニズムやその作用までが解明され、万能細胞で人体の諸器官からクロ−ン人間まで創ろうという現代にあっても、まだ分かっていないことは沢山ある。再現実験で確認できる自然科学の分野でも、医学の分野でも定説や常識が覆されることはしょっちゅうある。
 名医と言われ医師が十人近く出演している「主治医をみつける」というテレビ番組でも、一つの療法についての賛否が真っ二つに分かれるのである。
 ある女優の認知症的症状でも、「肝炎性脳症」だと言う診断と、「アルツハイマ−」だ、という異なる診断とに、家族が振り回されて、回復の可能性がある診断の療法に力を入れるのだ、という現実もあるのである。
 これらは、いつの日かには、きちんと解明され、真理が把握できると確信している。
 いつまでも、解明されないのは、「神、仏」と「霊魂」の存在くらいのものであろう。
 「懐疑の念を持つ」というのは信用しないということではない。「自分が納得がゆくまで、その正否の判断を保留する」ことであると思う。そのためには、あれこれと思考したり、デ−タを収集して調べたり、そう考える根拠を確かめたりすることもあろうし、そんなことまでするほどのことでなければ「そういう意見もあるのだな」と頭の隅にしまっておくこともあろう。


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2009.04.29 09:46:44

ルネサンス期には、この世の知識の虚しさ、人間の理性の無力さが説かれ、唯一、確実な知は、信仰と啓示によって得られるという、宗教的な匂いの強い形になった。
 17世紀に入ると、旧来の哲学に対して懐疑主義がぶつけられた。
 デカルトのように、これを逆手にとって、「我思う故に我あり」だけは、疑いを差し挟むことが出来ない絶対的真理認識であるとし、これを起点として思惟すべきだと主張する説も顕われた。
 この頃のイギリスでは、認識の問題は、神ならぬ人間がすることだから、、絶対的確実性には到達できないとしても、人々が守っている習慣のように、「多分間違いはなかろう」と思える程度の相対的確実性という認識レベルで良いのではないか、とい考え方が支配的であった。いかにも、イギリス人らしい現実的な考え方ではある。
 カントは、「物自体」の認識が不可能であることは認めながらも、因果律によって客観的妥当性を証明すれば、懐疑に陥らないで済む、と説いた。これは妥当な考え方であると思う。
 ヘ−ゲルは、自説の自然弁証法を持ち出して、正、反、合の弁証法的な運動によって、理性をより高位のレベルに導くことを繰り返せば、最終的には、真理に到達できる、と説いた。
 これが哲学史における「懐疑主義」に対する哲学思考の経緯のあらましである。


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2009.04.28 08:33:19

・哲学での懐疑主義の系譜
 「懐疑主義」は古代ギリシャ哲学の時代から説かれていた。「懐疑」という言葉は、ギリシャ語の「探求者」という意味なのだそうだが、「独断せず」「即断せず」という考え方である。
 アリストテレスと同時代のビュロンが唱えた説であると言われている。彼は、常識や定説には一切拘らなかった人で、危険視されていたことでも平気でやるので、危なくて、友人がいつも付き添っていたという逸話もあるくらいであった。
 アリストテレスの説で、「認識は『イデア』の影をみているようなものにすぎない」と考えられていた時代だから、何が真理なのかは、断定なんかできない、という「懐疑主義」があっても当然であったと思う。
 それに対する反論のもあった。
 「認識が不確かであるとして、それによる過ちを避けようとしていたら何もできないではないか。それでは普通の生活もできない」という反論である。
 それに対しては、「更に説得力のある説に従えば、行為は可能である」などとの応酬が行なわれた、というが、これも説得力があるとは言えない。
 しかし、「懐疑主義」といのは、何も信用しない、という姿勢ではなく、人の言うことはそのまま信用することはないが、それを自分で、あれこれ考えてみて納得すれば、信じる、ということなら、正しい姿勢であると思う。
 


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2009.04.27 09:08:35

第三は、08年に起こったような、全世界を深刻かつ、回復の見通しさえつかぬような、金融危機、経済危機に陥れる事態にならないように規制すること
 石油暴騰などによる巨額の余剰資金と、それを元手にレバレッジで何十倍にも膨らませた巨大な資金で石油や食材への先物投機をすることによって、価格を暴騰させたり、高リスクの住宅ロ−ンの組み合わせ証券の発行で、その焦げ付きによって、甚大な損害を世界中にばら撒く、というようなことは二度と繰り返してはならないのだ。
 世界は80年前の1929年に「世界大恐慌」という手痛い経験をしているのだが、その教訓は、第二次世界大戦と経時作用で風化してしまったのである。
 更に、今後は、グロ−バル化、IT化という80年前にはなかった条件下に置かれているために、金融危機による被害が想像を超えて甚大化、長期化されるようになっているのである。
 このような問題は、投資家に倫理感を持て、と言っても何の効果もないことで、法的に規制し、それを常時監視し、その兆候を掴んで、監視機関にそれを差し止める強制力を与えるしか方法はないと思う。
 その機能を果たさせるためには、グロ−バル化時代の特性を考慮すれば、世界の主要20ヶ国くらいが協調した形での法的規制を策定する必要があろう。
 これは社会主義化ということではなく、資本主義と民主主義を維持していくための、必要最低限の措置なのであると思う。


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2009.04.25 11:59:08

これまでに述べてきたように、グロ−バル化は史的必然現象だが、これの無秩序な蔓延を放任することは、08年のアメリカ発金融危機にみられたように、世界の秩序を乱すことになりかねない。それには、一定の世界的ル−ルが必要である。
 その基本的ル−ルは三つあると思う。
 第一は、グロ−バリズムを史的必然として前向きに認めること
 いたずらに、関税障壁を巡らせたり、規制を掛けたりする保護主義は、一時的な保護政策としての効果はあるであろうが、大局的にみれば、世界経済を萎縮させ、技術、産業の進展を阻害するというマイナス作用でしかない。
 そのようなプラスの効用は認める必要がある。
 第二は、グロ−バリズムは、自由、平等の理念に沿うものでなければならない
 経済発展レベルには、国によって先進国、新興国、発展途上国などの差がある。また、グロ−バル化を進めるやり方にも違いがある。前述のように、アメリカなど先進国の多国籍企業のやり方と中国のやり方とは全く異質のものである。
 しかし、いずれのやり方にせよ、経済の世界においても、勝者が一方的に世界を席巻してしまい。その独占体制が固定化してしまう、ということは好ましくない。優勝劣敗は否定できないにしても、勝者の一方的なル−ルで、劣者の成長の芽を摘んでしまうようなことはしてはならないと思う。
 劣者に対しては、ある程度の関税障壁は認めるとか、ODAを供与するとか、棲み分けを考えるなどの配慮が必要であろう。
 それは先進国としての、「後進国の自由と平等を保障するための必要なハンディ」と考えるべきである。


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2009.04.24 09:48:49

 グロ−バル化を大前提と考えるとは、世界中の国が、これから逃れることはできない問題だということである。
 それは、ある程度企業規模が大きくなれば、経済最尖端国アメリカから始められたグロ−バル化だが、日本の企業を含めて、どこの国の企業でもやることであって、それを妨害すれば、市場が閉鎖的であるとして、批難されたり、国際機関に提訴されることになるからである。
 そのグロ−バル化は、事業であれば、外国企業によるM&A(吸収、合併)の働き掛け、とか証券市場での敵対的株式買収などを行なってくるであろう。
 事業を一つの金儲けの手段としてしか考えていないアメリカ人は、こういうことについては、特に違和感は持つことはない。が、事業を家業として神聖視する伝統のある日本人は、これを「乗っ取り」と受け取り、特に相手が外国企業であったり、外国の投資会社であったりすると、聖域を侵され、占領されるような感じになって、強く抵抗するのである。
 しかし、投資会社による買収であっても、割安の株価に目をつけて、株を買い占めた後、株価を吊り上げて、売却し、利鞘を稼ぐような意図ではなく、事業と雇用を継続し、企業の繁栄と発展を意図しているような買収なら、一概に排斥すべきではない、と思う。
 投資会社の場合は、そのような狙いの買収は少ないであろうとは言えるが、それは、ケ−ス バイ ケ−スで判断するしかあるまい。
 それが嫌なら、株式を公開しない、という方法しかないわけである。
 


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2009.04.23 16:40:26

・グロ−バリズムの哲学と在り方
 これまでに述べてきたように、資本主義下で、地球全体の交流がし易い条件が整えば、グロ−バル化は自然発生的な必然現象であり、これは大前提として受け取らねばならない問題である。
 しかし、それによって、全世界が大損失を蒙るようなことになることは、避けねばならないことも当然である。
 08年、アメリカ発の金融危機による世界損失は、10年までに400兆円を超えると試算されているが、「避けねばならぬ」というのはこういうことである。
 そのために金融行為に倫理感の導入を説く学者もいるが、それは「木に依って魚を求める」ようなものである。
 サブプライムロ−ンのような行為は、金銭欲や制覇欲などのあくなき人間の貪欲に根ざすものであることは間違いあるまいが、それだけではなく、「ゲ−ム感覚」が大きな要因になつていると思う。
 こういうことをする手合いのやり甲斐は、大きなカネを動かして、ハイリスク、ハイリタ−ンの賭けをして、大勝負をすること自体に、心を震わせられる快感なのであろう。釣り好きが、食べるとか売るのが目的ではなく、大物釣りを試みる心境と同じなのである。それが「ゲ−ム感覚」というものである。
 しかし、そのお楽しみの「ゲ−ム」によって、多年に渡って亙って、世界中に金融資産だけでも、400兆円もの損失や大量の倒産、失業者、家族への苦悩を与えるようなことは人類に対する「未必の大不当行為」である。そのようなことをすれば、世界中に大損害を与えるようなことになるかも知れないが、なったとしても構わない、というのが「未必の不当行為」という意味である。


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2009.04.22 07:12:12

・グロ−バリズムの経済学としての新自由主義
 グロ−バリズムの経済学といえば「新自由主義」だ。その代表とも言える経済学者フリ−ドマンは、「一切の規制を取り払う自由放任主義」を唱えた。
 彼は、反ケインジアンの旗頭として「フリ−ドマンの反革」を提唱し、今日の「市場万能主義」の経済に大きな影響を与え、アメリカのレ−ガノミックス、英国のサッチャ−の経済政策のバックボ−ンとなり、日本の竹中-小泉の構造改革もその考え方もこれに基づくものであった。
 その思想で突っ走った結果が08年のアメリカ発金融危機であることに異論を差し挟む余地はない。さしものアメリカ政府も、FRBのバ−ナンキ議長もこの事実は認めている。
 「デリバティブ取引の基礎理論構築」に貢献した、という理由で、1997年にノ−ヘル物理学賞を受賞しながら、その後ヘッジファンドのLTCMの会長としてデリバティブ取引で大失敗したマイロン・ジョ−ルズは、「グロ−バリゼ−ションのもとでは『不確実性』はつきものだ」と弁明している。
 だが、彼の言う「不確実性」は、市場万能主義の下では確実に起こることなのだ。
 そして、今回のサブプライムロ−ンのデイバティブ商品のように、発売元の損害のみならず、全世界に文字通り計り知れない損害を押し付けるのである。これは「不確実性」の問題ではなく、必然的な帰結なのである。
 スティグリッツ コロンビア大学教授がいうように、「新自由所義の終焉」であるが、経済理論として終焉しても、自由放任が継続される限り、こういう行動は繰り返されるであろう。 


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2009.04.21 13:13:17

・グロ−バリズムの定義
 グロ−バル化という言葉が使われ出したのは1980年代後半ころからで、1986年のリヨンでのサミットではキイワ−ドとなった。
 資本主義は、そもそも企業規模を企業経営者によるガバナビリティ、即ち企業統治が可能な範囲で拡大し、最大利益を得ることを基本目的とする制度である。
 だから、企業が国内だけでなく、というより、国内よりもむしろ国内外の世界を狙って事業展開を図ろうという欲求は持っていたのである。
 世界の主要な自動車メ−カ−の販売台数をみても、いずれも国内の売上よりも海外での販売台数のほうが遥かに大きいのである。
 このグロ−バル化を促進した要因が揃ってきたのが1980年代後半ころであったのだ。
 グロ−バリズムを一言で言えば「物事を地球規模に展開、拡大させる動きである」と言えるであろう。
 航空機、運輸、情報伝達手段の進歩などによって、世界の時間、空間の隔たりが縮小されてきていたことが、このグロ−バル化の基盤要因ではあるが、その要因の最大のものは、IT網の世界展開であったと思う。
 このグロ−バル化は、ものや通信システムばかりではない、技術のグロ−バル・スタンダ−ドや経営システム、民主主義という政治体制から、IT犯罪にいたるまでグロ−バル化が進んでいるのである。


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2009.04.20 11:35:26

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