カジュアル哲学

トップ  > 科学/学問  > 哲学

  • オーナー:
  • 和寇の末裔
  • メンバー数:
  • 13人
  • 最近1週間のメッセージ数:
  • 6通

  • 更新日順スレッドを表示
  • スレッドで表示
  • 新着順に表示

  • 新規発言

サークルに参加してコメントを投稿しよう!


 その一方で、企業は、日本的経営を脱して、アメリカ式の個人主義的経営手法を導入し、終身雇用制の廃止、個人単位の成果目標制度などの成果主義人事を導入したり、政府の規制緩和に乗っかって、人件費の切り下げと変動費化を図るために、非正規労働者であるパ−ト、派遣労働者制の大量採用を図ったり、株主配当の増加
などに走ったのである。
 その結果。08年には、非正規労働者の比率は全労働者の30%
を超えるまでに増加したのである。
 この非正規労働者の人件費は正規社員の二分の一以下という安さが、08年のまでの企業業績を過去最高水準にまでの押し上げに大きく貢献したのである。
 そればかりではない。08年、米国発の世界的金融危機が発生し、世界経済が100年に一度と言われるくらい冷え込んだ際は、経営側からみれば、この人件費効率化制度は大いに功を奏してくれたのである。
 経営者側は、生産縮小に応じて、契約期間内にも拘わらず、こぞって非正規労働者の大量解雇に踏み切り、コスト削減を図ったのだ。その数は、09年1月までのわずか3,4ヶ月で13万人にも達した。
 その反面、解雇された労働者は、職のみならず住も失うという悲惨な目に遭い、路頭にさまよう羽目に陥ったのである。
 この不況下での職探しは、絶望的であり、このセ−フネットは「生活保護」しかないが、それも破綻に瀕している地方財政の状況では、極めて困難となると、ホ−ムレス化せざるを得ないことになったのだ。これこそ進退窮まった「閉塞状態」なのだ。

  • 拍手をする
  • コメントを書く

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。

  • 2009.01.31 05:40:29

 バブル崩壊後10年以上にわたるデフレが続いた。
 この間に、デフレ克服のために、小淵政権時代には、国債を大量に発行して、公共事業投資を盛んに行なったが、それによる景気回復効果はみられず、国と地方の借金ばかりが膨らみ、その額はGDPを遥かに超え、税の重みを将来の世代に負わせることになったのだ。
 当時、小渕首相は、自ら「借金王として歴史に残るであろう」と、自嘲気味に言っていたものである。
 しかし、小泉政権では、これが一変したのだ。
 小泉-竹中ラインで、財政再建のために、公共工事は徐々に減らされ、その代わりに日本の多方面で、アメリカ的な合理主義が、従来より一層ダイレクト、かつ強烈に導入されることになったのである。
 政府は、「構造改革」と称して、年々アメリカ政府から提示される「政策要望書」に沿うように、自立、自己責任、市場主義,自由競争をモット−に、「強い奴はより強くなれ、弱い奴は落伍してもやむを得ない」「民にできることはすべて民へ」、という考えで、規制緩和、市場自由化、高額所得者に対する減税、民営化など、競争激化煽動とも言える諸政策を打ち出したのだ。競争による景気向上刺激を期待したのであろう。
 その結果、都市と地方の著しい経済格差、所得格差を生む一方で、「ホリエモン」や「村上ファンド」のようなマネ−ゲ−ム屋をも生み出すことになったのである。

  • 拍手をする
  • コメントを書く

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。

  • 2009.01.30 11:45:12

 09年1月のハマス対イスラエルのガザでの戦闘では、パレスチナ人は、1500人以上が死に、4000人以上が負傷したが、その40%は女子どもだという。
 この戦闘で、イスラエル兵によって、目の前で両親を殺された、子どもが、「大人になったらジハ−ド戦士になって、イスラエルをやっつけてやるんだ」と言っていたが、その気持はよく分かる。
 バスク人やクルド人、チベット人のように、国家を作るのに十分な人口と文化を持ちながら、他民族に支配されて、自分達の国家が作れない民族もいるが、先祖代々そこに定住していた住居や所有地を奪われて、追い出され、何十年も難民として過ごすことを余儀なくされているパレスチナ人はより哀れである。
 国もなく、仕事もなく、ただ難民居住区での仮住まいを、この先いつまで強いられるのか分からない、お先真っ暗という人生は、強烈な「閉塞感」の重圧であろうと思う。
・日本の場合の「閉塞感」
 日本で「閉塞感」という言葉は、マスコミ用語として使われたのが始まりで、それはバブルがはじけ、長いデフレのトンネルに入ってからであったと思う。
 1990年代後半にバブルが崩壊する前までは、日本人の80%は、「自分は中産階級に属している」と思っていた、という。これは高度成長期から低成長期に移行しつつあった時代であるが、この時代には「閉塞感」という言葉は、全く聞かれなかったのである。

  • 拍手をする
  • コメントを書く

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。

  • 2009.01.29 10:27:11

・パレスチナ人の計り知れぬ「閉塞感」
 1967年の第三次中東戦争以来、イスラエルに土地、建物を奪われ、ヨルダン川西岸に追放された400万人を超えるパレスチナ人は、この戦争以来40年以上に及ぶ難民生活を余儀なくされているのである。その上イスラエルは、ヨルダン川西岸のパレスチナ占有地にも深く占領地を広げ、その境に高いコンクリ−トの障壁を構築して占領地を囲い込んでいるのである。
 国連は、アメリカの拒否権に遭いながらも、何回も、イスラエルに対して占領地からの撤退決議をしているが、イスラエルはアメリカの後ろ盾をよいことにして、それに応じる気配は全くないのだ。
 アメリカのこの態度が変らない限りは、占領地からのイスラエルの撤退はあり得ないし、中東での武力紛争は終わらないであろう。
パレスチナ人にとってはお先真っ暗なのである。この難民の「閉塞感」は計り知れないものがあるに違いあるまい。
 夢も希望もなく、先行きに絶望のあまり、ジハ−ド戦士として、爆弾を身に着けてイスラエルに報復して、幸せが待つと言う天国に召してもらおう、という気になる気持も分かるのである。
 更に、パレスチナは、ガザとヨルダン川西岸に分かれて、ガザは、あくまで武力でイスラエルへの抵抗を貫こうとするハマスが、西岸は穏健派と言われるファタハが統治するという形に分断してしまっているのだ。
 

  • 拍手をする
  • コメントを書く

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。

  • 2009.01.28 07:36:52

 このような状況の下で米国民が深刻な「閉塞感」に見舞われるのは当然のことであろう。
 これらの事態は、すべて8年間のブッシュ政権の失敗によって惹起されたものである。
 だから、08年の大統領選でも、共和党のマケイン候補は、脱ブッシュを強調したのである。
 しかし、国民は「脱ブッシュ」ではあきたらず、明確に「CHENGE」と「YES、WE CAN」をスロ−ガンに掲げたオバマを択んだのである。
 民主党でオバマと候補を争ったヒラリ−・クリントンは、夫クリントン元大統領のファ−ストレデイとしての経験やその後の上院議員としての実績を掲げて「経験」を掲げて戦ったが、オバマの「CHENGE」には勝てなかったのである。
 このオバマの快勝は、08年の投機マネ−による原油の暴騰やリ−マンブラザ−ズの破綻によって全世界に波及した金融危機も、強い追い風になったことは否めまい。
 また、オバマが黒人であることも、まさに「CHENGE」そのものを象徴するものであった。
 このように、「オバマフィ−バ−」はまさしく、米国民の「閉塞感」の産物であったと言えよう。
 オバマ政権のCHENGEが、今後どのような展開になるかは分からないが、オバマ治世の如何が、米国が真に叡知ある超大国か否かの試金石となることは確かであろう。

  • 拍手をする
  • コメントを書く

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。

  • 2009.01.27 10:08:46

・アメリカの「閉塞感」が生んだ「オバマフィ−バ−」
 08年のアメリカ大統領選で民主党のオバマが大統領に当選した。オバマのル−ツは、黒人奴隷ではないが、初めての黒人大統領である。これは、アメリカでの人種差別がなくなった、ということでは全くないが、特に若者中心に白人を含めてこれを歓迎する米国人は多く「オバマフィ−バ−」と言って過言ではない熱狂ぶりである。
 この「オバマフィ−バ−」を起こした背景要因はいくつかある。
 まず、アメリカの経済面では
 1サブプライムロ−ンの破綻によるリ−マンブラザ−ズの倒産を切っ掛けとする「100年に一度」と言われる金融危機と経済破綻
 2経済破綻による株価の大暴落
 3ドル相場の下落
 4消費の低迷
 5失業率の上昇
 6自動車メ−カ−ビッグ3の深刻な不振
などが上げられよう。
 また、外交面では
 1イラク治安はまだ不安定で、15万人の派遣米兵の撤退のめどがつき難い
 2アフガンのタリバン、アルカイダの勢力挽回で、アフガンの治安は一層悪化している
 3ガザを中心といする中東の紛争に再び火がついている
 4イランの核開発は続いている
 5北朝鮮の核問題も極めて不透明なままである
 6世界の超大国アメリカの威信の急低下
 などが上げられよう。

  • 拍手をする
  • コメントを書く

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。

  • 2009.01.26 07:24:18

これは、毛が、「走資派」つまり資本主義に近寄ろうとしている一派と呼ぶ劉少奇とケ小平から実権を奪還する権力闘争であると見られている。が、その裏には、鳴り物入りで宣伝されてきた共産主義社会への大路線である「大躍進」政策か失敗に終わり、それを切っ掛けに、20年以上にわたって培ってきた共産主義への道が歪められ、資本主義に逆行しようとしているという、毛沢東ばかりではない、国民全体的な「閉塞感」があったのであろう。それが「文化大革命」の発端となったものだと思う。
 しかし、これも中国共産主義革命の最後のあがきに過ぎなかった。1967年毛の死を契機に「文化大革命」は終焉し、毛の妻、紅青ら首謀者四人組は逮捕、拘禁された。
 ケ小平は復帰し、1970年頃から「改革、開放」を唱えていたのだが、1976年の天安門事件で失脚、翌年復活し、79年には、人民公社を解体し、経済特区の設定や農業の生産請負制、農民への土地支給するなど、社会主義的市場主義に転換、これが大成功して、中国は二桁の高度成長の持続という驚異的な成長軌道に乗ったのである。
 考えてみると、周恩来の葬儀での花束撤去事件を契機に、「民主化」を求めて学生らが立ち上がった「天安門事件」も、文化大革命に続く、これとは逆の学生や民衆の間の「閉塞感」の爆発であったと思う。
 その「閉塞感」を、「改革、開放」をスロ−ガンに、経済成長によって解消したケ小平の功績は偉大である。


 

  • 拍手をする
  • コメントを書く

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。

  • 2009.01.25 09:52:56

・毛派の閉塞感が文化大革命を起こした
 1966年から2年間の文化大革命は毛沢東が発動した一種の「乱」である。
 1949年中華人民共和国を設立させ、初代の国家主席となった毛沢東は、中国の社会主義建設に努め、1958年からは「大躍進」活動に着手した。
 これは、人民公社革命とも呼ばれ、農業その他の産業部門を含む集団組織で互助組、合作社の形で集団農業化を進め、更に、工業、商業その他を含め、村役場、学校、民兵組織を持つ「政社合一」といわれるコンミュ−ンを構築、推進するものであった。
 しかし、「大躍進」は失敗に終わり、毛沢東は責任を取って、1959年、劉少奇に国家主席のポストを譲った。
 しかし、毛沢東は、劉少奇の下で、共産党の理念である共産主義が修正主義に後退しつつあることに危機感を高め、国家路線を修正して、再び権力を取り戻そうとして、1966年に発動したのが「文化大革命」だと言われている。
 その中心となったのは、毛崇拝の教育を受けて育ちつつある中学生、高校生であり、彼等が勇んで「紅衛兵」として「文化大革命」に参加したであろうこともよく分かる。この活動は学校単位から全国組織に統合化されたのである。
 彼等は旧文化、旧思想を一掃するとして、学者、芸術家を攻撃、貴重な文化財をも破壊するなどの暴挙を働いたが、周恩来らがこれに反対し、1976年、毛沢東の死を契機に終焉、毛沢東の妻の紅青等首魁の四人組は逮捕、拘禁され、幕を下ろした。
 

  • 拍手をする
  • コメントを書く

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。

  • 2009.01.24 09:45:58

・太平洋戦争も「閉塞感」から
 長い鎖国政策のために、開国したときは、世界の植民地獲得競争は終わっており、日本は焦った。
 日清、日露戦争、第一次世界大戦の戦勝国として、台湾、樺太(サワリン)南洋諸島は手に入れたが、これでは不足と、手を出したのが大陸で、1931年に傀儡国として満州国を設立したが、これを当時の国聯から非難されて、1932年に国聨を脱退、36年には同じ脱退組のナチスドイツと「日独防共協定」を締結、1937年には中国に侵攻した。
 一方、欧州では、ナチスドイツは、1933年にはベルサイユ体制を打破して、第一次大戦の賠償金を踏み倒し、1939年9月にポ-ランドへ進攻、これに対して、英、仏はドイツに宣戦布告を行なった。
 翌40年には、三国の指導的地位の確立と相互軍事援助を取り決める「日独伊三国同盟」を締結した。ここに枢軸国体制が構築された。
 日本はその後、仏領インドシナにまで進駐した。
 1941年、アジアでの日本の勝手な振る舞いに怒っていた米英仏蘭は、いわゆる「ABCD包囲網」を構築して、日本への石油、鉄の輸出を止めるほか、中国からの完全撤兵を要求してきた。日本は、完全に包囲されたのである。
 真珠湾奇襲攻撃から始まった太平洋戦争は、この政府と軍部の「閉鎖感」が原因なのである。

  • 拍手をする
  • コメントを書く

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。

  • 2009.01.23 12:03:40

・ナチスは閉塞感を背景に台頭した
 1918年第一次大戦が終結。翌19年1月にパリ講和会議が開催され、6月にはドイツはベルサイユ条約に調印、ベルサイユ体制が発足した。
 これは米大統領ウインソンの14箇条の平和条約原則に基づいて、無賠償、民族自決が基本とされるはずであったが、戦勝国は、戦中の秘密協定によって、領土と植民地の割譲、分配を行なった。
更に、1921年のロンドン条約では、金による1923億マルクという過酷な賠償金を課し、毎年20億マルク、実にドイツの輸出年額の26%に上る金での支払いを課したのである。
 その結果、ドイツの金が流出し、マルクの価値は暴落、1923年には戦前と比べてなんと、マルクの為替レ−トは1兆倍にも下落し、ドイツ国民はハイパ−インフレで塗炭の苦しみに突き落とされ、「閉塞感」を漲らせたのである。
 暖をとるための薪が買えずに、札束を燃やした、という逸話もまんざら創り話ではなかったのである。
 ナチスの前身である「国民社会主義労働党」が結成され、ヒットラ−が指導者となったのもこの年であった。その後、紆余曲折はあったが、1929年の大恐慌後に、ナチスは急速に勢力を伸ばし、国会の第一党となり、ドイツのナチス化が軌道に乗ったのである。
 このように、「閉塞感」は、何らかの「変化」につながるというのが歴史の教訓なのだ。

  • 拍手をする
  • コメントを書く

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。

  • 2009.01.22 09:50:44

サークルの紹介

 従来の思弁的哲学を踏まえながら、日常の諸身辺の問題について、哲学的考察を加えようとするサ−クルです。いわば普段着の哲学です。

2009年1月

最新拍手

メッセージアーカイブ

2010年
├ 3月
├ 2月
├ 1月
2009年
├ 12月
├ 11月
├ 10月
├ 9月
├ 8月
├ 7月
├ 6月
├ 5月
├ 4月
├ 3月
├ 2月
├ 1月
2008年
├ 12月
├ 11月
├ 10月
├ 9月
├ 8月
├ 7月
├ 6月
├ 5月
├ 4月
├ 3月
├ 2月
├ 1月
2007年
├ 12月
├ 11月
├ 10月
├ 9月
├ 8月
├ 7月
├ 6月
├ 5月
├ 4月
├ 3月
├ 2月
├ 1月
2006年
├ 12月
├ 11月
├ 10月
├ 9月
├ 8月
├ 7月
├ 6月

更新日順発言

サークルセンターからのお知らせ

メンバーリスト

  • オーナー 和寇の末裔(1148)
  • メンバー 和寇の末裔 - 2(8)
  • メンバー an_idle(1)
  • メンバー 物理屋(1)
  • メンバー deer(1)
  • メンバー a(1)
  • メンバー 久遠(0)
  • メンバー タカギ(0)
  • メンバー hamasa(0)
  • メンバー らりほ(0)

>> 一覧(13人)

サークルに参加するとメッセージの送信やメンバーリストの閲覧が出来るようになります。 サークルに参加するには、ログインが必要です。初めて利用される方は、 心あたたまるコミュニティウェア Circle Player の新規ユーザー登録(無料)を行ってください。

スポンサーサークル紹介

近くのサークル

説明


拍手ランキング

>> 一覧