カジュアル哲学
オーナーオーナー:和寇の末裔   メンバー数メンバー数:13人   最近1週間のメッセージ数:5通
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 従来の思弁的哲学を踏まえながら、日常の諸身辺の問題について、哲学的考察を加えようとするサ−クルです。いわば普段着の哲学です。

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前述の下手な評価の四つの例では、そういう評価をすれば、被評価者がどういう行動をとることになるか、その結果どういうまずいことになるのか、の予測を誤ったか、それに全く気が付かなかったために悪い方向へ向かわせる結果を招いたのである。
 どこが抜かっていたかを改めて指摘しておこう。
 ・月末売上高評価の例
  次月月初返品条件月の月末の水増し販売をやるだろう
 ・消された年金
  徴収率引き上げのためには保険料を引き下げる手に出るだろう
 ・事故米さばき
  事故米在庫をさばくことが第一、あとは業者まかせになる
 ・生活保護抑制
  保護申請をさせず、保護を辞退させるのが削減の早道になる
 被評価者も「こんな評価はおかしい、問題だ、正義に悖る」とは思っていないはずはないのだ。が、その評価に応えることが昇格、昇進への道だとなれば、不正には目を瞑っても、その評価に応えようとしたのである。
 ここに悪い例としてあげた四つのうち三つまでは行政の問題であり、それも国民生活の暮らしや安全の基本につながる重大問題でばかりである。
 このような重大問題でさえ、こんな杜撰なことがやられているとしたら、他の分野ではもっとひどいのかも知れない。
 われわれ庶民がもっと目を開いて、しっかり監視するしかないのである。
 


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2008.09.30 08:17:53

・評価制度と運営のあり方
 有効な評価制度を設定し、運営するためには、「評価項目」「評価段階」「評価の公正性」「評価者選定」「被評価者への公開」などへの配慮が重要なことは当然であるが、一番大切なことは、被評価者を、評価によって、ねらい通りに変らせることが出来ることである。
 評価は「品定め」という側面を持たざるを得ないが、単なる「品定め」ではなく、その評価によって、「被評価者が今後取るべき行動を示唆する働き」である、と思う。
 良い評価なら、そのレベルを更に向上させる方向へ行動させ、そうでない評価なら、改善すべきところを自覚させ、それを改善、是正していく意欲を持ち、努力するように促すことである。
 そのためには、評価に対して、「確かにそうだ、間違いない」と、被評価者に納得させ得る評価であることが必要である。
 「何で、オレがこんな評価なんだ?」と評価に反発する者が少なくないのは当然であるが、それを納得させるようにするのが、管理者の責務である。
 そのためには、評価の結果を、いきなり突きつけるのではなく、普段から、分からせておく配慮が必要であろう。
 「評価制度」はこのような機能を持つものであるから、評価制度を設計するに当たっては、その評価の結果で、被評価者がどのような方向に動くことになるかを、事前に、十分に予測し、それが評価制度設定のねらいに沿うものであるかどうかを確認した上で、設計すことが大切なのである。


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2008.09.29 09:50:33

 そこで地方自治体が目をつけたのが、生活保護の抑制だ。
 そのなかで、生活保護抑制で大きな成果をあげた模範都市として評価されたのが北九州市であった。そこで起こった過酷な事実を紹介してみよう。
 まず、「門前規制」である。
 「生活保護申請の窓口に申請書を置かない」「申請書の書き方を教えない」「玄関払いをする」などで水際で、申請をさせないのだ。
 次に「生活保護辞退」の強要である。
 一旦生活保護を決定しても、しつこく辞退を迫るのだ。それに根負けして、生活保護受給者が「辞退届」を提出せざるを得なくさせるのである。
 北九州市では、人事管理制度の成果主義にからめて、こういう過酷な手口で生活保護抑制に効果を挙げた者には、昇格や本庁への異同などを保証したのだ。
 その結果、06年7月には、56歳の身体障害者が、生活保護を辞退させられた結果、餓死する、という事件まで惹き起こしたのである。
 しかし、市は、手続き上は問題はなかった、と頬かむりしたままであった。
地方自治体が少しでも、支出を減らそうと躍起になる気持は分かるが、憲法で保障している弱者の生存権まで、目をつけることはあるまい。
 これも「悪しき評価制度」のひど過ぎる例である。


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2008.09.28 07:08:55

農水省は、事故米は工業用原料としての用途に特定していると言うが、その用途は、合板を造るときに、板同士を張り付ける糊が主である。
 しかし、合板政策業者のほとんどは、小麦を原料とした糊を使っており、米原料の糊を使っている業者は3社だけだという。とすれば、工業用原料としての事故米の需要は極く少ないということである。
 そこで、在庫をさばくためにの窮した九州地方農政局は、「三笠フ−ズ」のり求めに応じて、渡りに船とばかりに売却したのものであろう。
 「フ−ズ」と名がつけば、食料を扱う業者であることは明白だが、さばければ、どこでも良かったのであろう。
 売却後も、工業用途に使われていることを確認するための立ち入り検査は100回近く行なったというが、見抜けなかったのは、売った後は野となれ山となれ、とは思わなかったであろうが、検査担当部門と売却担当部門が同じであったこともあって、形式的に過ぎたということであろう。
 九州農政局は、事故米の在庫減らしの成果によって、大いに評価されたであろうが、これも「下手な評価」例の典型的なものである。
・憲法を踏みにじった生活保護抑制評価
 憲法25条第一項には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有す」と規定されている。「生活保護法」はこれに基づく法律である。
 バブルがはじけた1994年頃から生活保護所帯が急増している。2007年には、生活保護所帯が100万を超している。その一方で地方財政は火の車だ。
 


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2008.09.27 12:51:47

 これは、年金保険料徴収率向上という評価制度の数値を良くするために社保事務所が組織ぐるみでやったことだと思う。
 官僚が、民間会社の保険料負担を減らすために、わざわざ知恵を貸すなどということはあり得ないからである。
 保険料の納付は、制度の根幹であるから、その評価はあって当然だが、その数値だけに目を向けて、当然予想される官僚の悪知恵をチェック、牽制するという面を抜かっていたのが問題の根源だと思う。
・食用流用を誘った事故米さばきの評価
 政府が高率の輸入外米関税引き下げ拒否の代償として、国際的に義務化されている輸入米の中に「事故米」と格付けされているものがある。発癌性のある黴毒の「アフトラキシン」や、農薬「メタミドホス」などが基準値を超えている米である。
 「事故米」とはいかにも官僚の命名らしいわけの分からない名称だが、、はっきり言えば「汚染米」なのだ。これが年に1800トンほど輸入されている。
 これらの米は、政府にとっては厄介ものだから、一刻も早くそれを処分したいと思っているのは分かる。そのために、その売却成果を地方農政局ごとに評価し、競争させようとしたのだ。
 これに目をつけた「三笠フ−ズ」は、この「事故米」を、非食用の工業原料用として、キロ9円で買い取り、多数の米プロ−カ−や仲介業者を経由させて、食用米として、給食用、菓子原料、焼酎原料用途に、最終価格はキロ170円の高値で売却したのである。
 その結果、何百万人と言う国民が毒を食わされるという結果になったのである。これが、08年に発覚した「汚染米食用化」事件である。 


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2008.09.26 09:40:21

・保険料徴収率評価によって「消された年金」
 07年、年金不審が俎上に上がった際、当時の安倍首相は「消えた年金」という用語に苦言を呈して、社保庁の杜撰な事務処理によって、払った人が特定できないでいるが、調べれば分かるものであり、「消えた」のではなく「宙に浮いているだけだから『宙に浮いた年金」と改めて欲しい、と言ったことがあった。
 「宙に浮いた年金」の定義はこれでよいであろう。その他に「消えた年金」と「消された年金」があるのだ。
 「消えた年金」とは、被保険者が支払ったにも拘わらず、徴収者の横領などによって社保庁に一切記録がないもの。
「消された年金」とは、会社側の保険料負担を減らすかたわら、社保事務所の保険料徴収率が上がった形にするために、社保事務所側が会社に働き掛けて、厚生年金から脱退せたり、給与を実際よりも少なく申告させ、給与を減額した形にして、その分の保険料を軽減
させたものである。
 だから、従業員は正規の保険料を給与から天引きされているにも拘わらず、社保庁の記録には、その減額した分の保険料記録しかないから、将来支給される年金は、不当にそれだけ目減りすることになるのだ。「これが「消された年金」である。
 「消された年金」は、当初、はっきりした証拠があった1件だけだと言っていたが、その悪質な意図からいって、そんなことはありえない、と思っていたところ、その疑いのあるものが6万1千件
も見付かったのだ。コンピュ−タ−で不自然に給与が激減しているものを抽出した結果であろう。しかし、そのようなケ−スは実際はその100倍くらいはあるのではないか、と思う。


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2008.09.25 17:27:49

 評価をその目的別に分類するとこのようになるが、このうち特に問題なのが、2の「組織体や人をモチベ−トする」ための評価である。
 評価のあり方については、後で述べることにして、いくつかの問題事例をあげてみよう。
・月末の売上高操作
 売上高は、営業活動の基本的指標である。だから、月単位に、支店、営業所単位にその数値を報告させ、管理される。これは当然であるが、そこで奇妙な現象が起こる。
 売上高の月内推移を見ると、月の初旬は伸びが低調で、下旬になって売上カ−ブが急に上向き、目標達成というパタ−ンになっているのである。何故なのか。
 前月の売上目標を達成して、「やれやれ」と月初めは一休みということもあるだろが、それよりも、売上目標を達成するために月末に、得意先に頼み込んで、「返品条件付きの押し込み販売」という形で、売上数値が操作されるためである。
 だから、翌月初めには「返品」が殺到して、「売上返品勘定」が発生するから、月初旬の売上がそれだけマイナスされることにもなるのだ。
 自動車販売でも、銀行の預金獲得高でも同じことが起こっている。銀行の外回りの担当者が「3日間だけでよいですから、○○○万円の預金をお願いします」と泣きついてくるのだ。
 これは、営業の最高責任者ぐるみの組織的作為であり、セ−ルスマンのモチベ−トどころか、モラ−ルハザ−ドにつながるだけの「下手な評価」である。
 
 


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2008.09.24 11:07:31

・評価の目的
 一口に評価といっても、いろいろな目的がある。その主なものを挙げてみよう。
 1希望者多数の中から、一定の条件を満たすものだけを択び、順位付けをする
 定員が決まっている入試、入社の試験とか、合格基準が決まっている資格試験のような場合の評価である。
 2組織体や人をモチベ−トする
 努力目標を決めたり、改善テ−マ、ノルマを与えたりして、その結果を測定して、組織体あるいは人の意欲を刺激し、やる気にさせ、ハッスルさせるための評価である。
 3成果の達成度をみる
 生徒の成績とか企業業績などを測定して、その期間の成果達成度をみるための評価である。学校の「成績表」、会社の「損益計算書」「貸借対照表」などがそうである。
 成果評価である点では2と同じであるが、3は同じ基準による不変的な評価であるに対して、2は評価基準が個別的であり、変動的である点が違うのである。
 4昇給、昇進の的適格度をみる
  昇給、昇格の適否判定とか、ボ−ナスの個人別支給レベルを決めるなどの場合の評価である。
 5プランの評価
 経営計画、投資案件、研究開発テ−マなどについてそれにGOサインを出すべきかどうかの事前の評価もある
 これらの評価目的によって、評価のやり方が違ってくるのである。


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2008.09.23 10:04:53

 人でも物でも会社でも、すべて玉石混淆である。だから、そのなかか目的に叶うものを見つけるためには選択しなければならない。その選択の手段が「評価」である。
 この選択のために、優劣をつけたり、順位をつけることが「評価」である、と考えてよいであろう。
 換言すれば、選択対象が複数ある場合に、「差を付ける」ことが「評価」であると言ってもよいであろう。
 評価の対象には、いろいろある。資産や財産の評価、物の評価、知識とか学力の評価、タスクの達成度の評価、学問、藝術、技術面での成果評価などがある。
 「評価」と似た言葉に「鑑定」とか「評定」とかがあるが、これと「評価」は違う。
 「鑑定」は、工芸品などについて、その分野の専門家が見て、本物か贋物かの「真贋」を判断するもので、これは「評価」とは違う。
 また、「判定」は、判断し、決定する、という意味だから、評価の結果は、その際の有力な要因とはなるが、他の要素も含まれると考えるべきであろう。
 他の要素とは、評価には含まれない要素、たとえば、全体的なバランスとか、決定すべきタイミングとか、決定如何によるによる他への影響につていの判断などである。
 その意味で、「判定」は総合的、最終的な決定であるに対して、「評価」は要素的なもの、決定以前のものと考えてよいであろう。


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2008.09.22 15:19:34

・無宗教の主真因は
 日本人の70%は、仏教徒ということになっており、それぞれ自分の家の宗旨ももってはいるが、実態的には無宗教である。
 この問題について、これまでに述べてきた、次の六つの要因が大きく影響していることは間違いあるまい。
 ・仏教は、他の宗教のように信徒を囲いこまない
 ・日本人は先祖には崇敬の念を持つが、これは信心とは違うもの
 ・仏教は祖先供養の一つと考えている。供花と大差ないのである
 ・極楽往生したければ、念仏を唱えるだけでよい
 ・仏教の道徳規範は厳しすぎて庶民には無理
 ・お経はチンプンカンプン
 こういうことで、日本人は、その主たる宗教である仏教とは遠縁になってしまっていることは確かであろう。
 「苦しいときの神頼み」という言葉がある。それは本当である。
 根っからの無神論者である筆者でさえ、愛する妻が生死の淵をさまよう病気をしたときは、「神様がいたら、お願いするのだがなあ」という思いが一瞬脳裏をかすめたほどである。   
 しかし、そんなものはないのだ。
 人生には、いろいろ災禍が降りかかる。自然災害、戦争、不運、病気、愛する者の死など。しかし、それらは、どう仕様もないものが少なくない。それを除災してくれるように、神仏に祈念したところで、全く効果などはないことも知っている。むしろ、神も仏もないからこそ、こういうことが起こるのであって、自分で耐え忍び、我慢し、頑張るしかないと思っているのである。だから宗教には頼らない、寄り付かないのである。それが無宗教の主要因だと思う。
 ただ、慣習化されている神事や仏事は、やらないと落ち着かないから、やっているだけなのである。
 


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2008.09.20 10:53:26

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