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・視点が違う法的因果関係
 法的な因果関係の判断は、違法行為という結果を惹き起こした原因とみられる行為や状況に対して原因行為者の責任を問えるが否かの問題である。これには二つの説がある。
 「条件説」では、この条件がなければ、結果が起こらなかったであろう、と思われる場合には、すべて責任がある、ということになる。原因行為と結果との間に、自然の成り行きとか他人の行為が関係したとしても、責任は免れないのだ。
 これに対して「相当関係因果説」では、原因行為の際に行為者が、認識していたあるいは認識することが当然予想されていた範囲についてのみ責任を問えることになる。従って、原因行為と結果の間に介在するものについては、その基準で、責任の有無が判断されることになり、「条件説」よりも責任の範囲が狭くなるのである。
 「Cと喧嘩をして肩を蹴られたAが翌日急死した。その死因は肩を蹴られたことによって、もともとあったAの肩の動脈瑠が破裂したことによるものであった」とする。
 この場合、「条件説」ではCの責任が問われるが、「相当関係因果説」では、CがAの動脈瘤を知っていたか、知っていて当然であった場合にのみ、責任を問われることになるのである。
 このように、法的な因果関係の論議は、原因行為者に対して結果についての法的責任を問えるかどうか、刑罰を課することが妥当が否かの判断の問題であって、一般の因果関係探求とは目的も、視点も思考プロセスも異なるものである。

 

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  • 2008.08.31 18:10:09

・佛教の因果思想は全く別もの
 「因果応報」とか「積善の家に必ず余慶あり、積悪の家に必ず余殃あり」ということばがある。これらは佛教の訓えである。
 つまり、善行にも悪行にも、必ずそれに応じた報いがあるのだ、という思想である。
 これは、論理的な因果関係をさして言っているのではなく、宗教的な、道徳訓のようなものである。
 良いことをしていれば、必ず良い報いがありすよ、悪行を積んでおれば、悪い報いがきますよ、だから、善行を積むようしなさい、という訓えなのだ。
 つまり、佛教の「因果」は一般的な、原因と結果ではなく、そこでの「因」は、善行あるいは悪行であり、「果」は余慶あるいは余殃なのである。これだけでも、論理ではないことは明白なのだ。
 しかし、そうではないのが現実の世界だ。悪いことをしてたんまり稼いで、のうのうと一生を送る奴もいるし、この上ない善人で尊敬されていながら、苦しみばかり背負わされて、苦しみながら死んでゆく、という人も少なくないのである。
 「何故あんな良い人が苦しめられるの?」と思うのは「因果応報」説を信じている人なのだ。
 善いことをした後は、自分でも「気持がよい」と思うが、それだけが「善行の余慶だ」と考えれば、それでもよいが、逆に悪事がうまくいって、「やったあ−」と快哉をあげるということもあるのだ。
 佛教の「因果」は論理性のない、子供だましのような「訓え」なのである。このように、佛教の因果は、ここで論じる因果関係の問題とは全く別ものである。

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  • 2008.08.30 10:09:35

 山の斜面に長い間雨が振り続けば、雨水の浸透で地盤が緩み、がけ崩れや鉄砲水が起こる可能性が高くなる。これは「自然の因果性」であり、普遍妥当性が認められる。
 この普遍的な因果性に基づいて「警報」を発して住民の注意を喚起する基準を作って、活用しているのである。
 その意味で、カントの言う「自然の因果性は認める」というのは正しい。
 しかし、公的、私的を問わず、人間が関与する問題の因果関係はすべて個別であるから、普遍的な因果律を見つけ出すことは難しい。例をあげてみよう。
 企業が直面する問題点(不具合現象)は同じである場合が多い。
 「納期が守れない」「生産性上がらない」「従業員のモラルが低い」「生産期間が短くならない」等などの問題点を抱えている企業は多い。
 このように、問題点(結果)は同じでも、その原因関係はみな違うのである。すべて個別なのである。
 業態が違い、顧客が違い、規模が違い、管理制度が違い、マネジメントのやり方が違い、人が違うからである。
 だから、結果、即ち問題点が同じであってもそこに同一の因果律は成立しないのである。
 カントが「人間が介入する現象には普遍的な因果律は認められない」と言っているのは、このことであり、カントの意見は正しいと思う。

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  • 2008.08.29 07:51:42

・哲学者の考え方
 原因と結果の関係については、古代ギリシャ時代から「因果関係」「因果律」「因果性」など名付けて、哲学の課題として研究されてきている。
 アリストテレスは事物存在の原因は、「素材因」「形相因」「作用因」「目的因」の四つであるとした。
 「素材因」はものを作る材料、「形相因」は作られたものの形、「作用因」はものを作る人、「目的因」はものをつくる目的である。
 しかし、この四つは、ものが作られるために必要な要素であって、原因と結果の関係を示すものではない。
 ヒュ−ムは、もっと手際よく説明している。
 Aという事実が起こると、それに伴ってBという事実が起これば、AとBはつながっている、AがおこったからBが起こったと思うであろう。これが因果関係である、と説いている。こういう現象が繰り返されれば、そこには因果法則が認められるというのだ。
 しかし、これは習慣による主観的な確信に過ぎないから、その知識を普遍妥当性のあるものと認めることはできない、というのだ。
 この考え方を発展させたのはカントである。
 カントは、自然の因果性と自由の因果性を区分して、因果法則の普遍妥当性を自然現象にだけ認め、人間の意志の自由を主張した。
平たく言えば、物的な自然現象には因果法則は認められるが、人間の意志が加わる現象には普遍妥当な因果律というものはない、というのである。
 このカントの考えは正しいと思う。

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  • 2008.08.28 09:03:28

 ところで、この日本人の国民性の起源はどこにあるのか、政治体制、社会制度や教育やらの影響を受けている日本人の現在の行動特性ではなく、前述の日本人の「基本的資質」の起源のことである。
 環境決定論は誤りであることは冒頭で述べたが、その起源は三つあると思う。
1単一民族だから、基本的には同胞意識があること
 異人種混淆ではないから、基本的に、考え方、習慣、好み、行動特性が同じで違和感がないのである。
2農耕民族である
 食料は、米穀、野菜、魚貝を諸食としてきている。これらは農耕、漁猟をして、一生懸命働、勤勉に働かないと収穫も漁獲もできないものである。
3「四つ足」として獣肉は嫌忌する菜食主義傾向
 これは佛教の影響ではない、佛教で肉食を禁じているのは出家だけである。
 肉食民族は、利己主義、我侭、他人を蹴飛ばしても地位、名誉、権力を追求するな攻撃的性格になり易いという説がある。肉食は精力がつくからであろう。それに比して、菜食民族は穏やかなのだ。  このことは、日本人の腸が欧米人に比べて2mは長いということでも証明されている。米穀、野菜では、これから栄養を吸収するためには長い腸を必要とするからである。
 このような要因がDNAに織り込まれて、受け継がれ、進化してきたことが、国民性の「基本的資質」の起源ではないか、と思うのである。

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  • 2008.08.26 08:04:15

 国連に勤務経験のある日本人によると、国連という組織では、がんがん自己主張をし続けないと、何時の間にか蚊帳の外に押し出されてしまう世界だと言う。
 国連に限らず、多人種、多国民が集まる場では、そうなるのであろう。特に、何かを決めるということになれば、共通語である英語の表現力の差もあろうし、背負っている国益も違う、考え方も違うとなれば、自己主張の理論構成、強さ、迫力、説得、根回しの巧拙、ディベ−ト技術等などすべてが言論勝負になるからである。
 もっとも、日本人でも、海外留学の経験のある者は、「郷に入れば郷に従え」ということで、そのような自己主張の習慣を身につけて帰ってくるように思われるから、外国人との接触の機会を多く造ることによって、「自己主張下手」は克服できる問題だと思う。
 アメリカ人が自己主張に強いのは、USAが「人種の坩堝」だから、そうしないと、堕ちこぼれてしまうからであろう。
 この「自己主張」をするためには、その前に、自分の考えをしっかり持たねばならないことは当然である。この点を含めた自己主張意識の高まりが、「大勢順応」や「政治無関心」「先送り」の克服にも通じるものだと思う。こういう人達の増加が、連鎖反応を起こして全体の変化へと波及してくることが期待できるのである。
 残るのは「見て見ぬふり」だが、これは、「係わり合いになりたくない」という気持よりも、何か危害を加えられるのではないか、とい恐れが行動をためらわせるのである。それは分からないではないが、周囲に呼びかけて「皆で掛かれば怖くない」くらいの勇気は持てないことはないと思うのである。
 

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  • 2008.08.25 11:18:58

・日本人の国民性の長短
 こう見てくると、日本人の国民性には良い面が多いが、「大勢順応」「先送り」「自己主張下手」「見て見ぬ振り」「政治的無関心」は、是正しなければなるまい。
 外国人は、日本の軍国主義と第二次大戦の記憶から、日本人を「好戦的」とみる向きが多いが、それは本来の姿ではない、と思う。
 遅れて開国した日本政府が、植民地獲得競争に焦って「富国強兵」をモット−に突き進み、日清、日露両戦役での勝利を実力と過信して、植民地獲得競争に突っ走ったのである。それは日本人の基本的資質に由来するものではなかった、と思う。
 日本人の基本的資質は、平和主義国家に最も相応しいものであると思う。
 しかし、グロ−バル化されている世界で、日本が大国としてそれなりの外交貢献をしていくためには、少なくとも上記の点は是正すべきであろう。
 「沈黙は金なり」「能ある鷹は爪を隠す」は、日本では美徳とされ、これに反する行為は「出る杭は打たれる」ことになるのだが、国際的には全く通用しない、マイナスの行動規範なのだ。
 「以心伝心」も同一民族内だから、それが通用するのだが、国際的には「日本人は一体何を考えているのか分からない」ということになるだけである。
 しかし、今では夫婦間でも、「以心伝心」で分かってくれている、と思っていると、妻から「定年離婚」を宣言される、独り合点のバカな夫、ということになるのである。
 

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  • 2008.08.24 10:09:48

・具体的にはどう顕われるか
 前述の四つに区分した「派生的特性要因」と日本人の国民性を示す具体的現象との関係を示そう。だたし、実際は、ここに掲げる「具体的現象」は、「派生的特性要因」の複数の区分に関係するものもあるが、主たる関係と考えてもらえばよい。
1対人関係要因から
 「礼儀正しい」「親切である」「自己主張が下手」「以心伝心に頼る」
2世の中の出来事要因から
 「大勢に順応する」「諦めが早い(仕方ない)」「根に持たない」「先送りする」「不和雷同する」「見て見ぬ振りをする」
3上に対する要因から
 「政治に無関心」「従順である」「先輩、上司に敬意を払う」「無宗教である」
4仕事に対する要因から
 「仕事が綺麗」「仕事が丁寧」「チ−ムワ−クがうまい」「物まねが上手」
 
 このように、国民性について、「基本的資質」→「派生的特性要因」→「具体的な国民性の現象」と、とつなげて、構造化してみると非常によく分かるし、長所も短所も一目瞭然になると思う。
 最期に、ここで明らかになった、日本人の国民性の具体的現象について、突っ込んで考えてみよう。

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  • 2008.08.23 11:27:58

・派生的特性要因
 前項で、日本人の国民性を決める「基本的資質」として、「生真面目である」「温和である」「働き者である」「優しい」「争いを嫌う」「繊細である」「淡白である」の七つを挙げた。
 これらの基本的的資質のいずれか、あるいは、いくつかの組み合わせによって生じるのか「派生的特性要因」である。
 これは次の四つのグル−プに大別できる。
1対人関係では
 「正直である」「揉め事を嫌う」「なあなあで済ます」「周囲を気にする」「事なかれを好む」「意思表示が弱い」
2世の中の出来事に対しては
 「反応はすばやい」「忘れっぽい」「こだわりが少ない」「諦めが早い」
3上に対しては
 「上に弱い」「素直である」「影響され易い」
4仕事に対しては
 「木目細かい」「約束を守る」「完璧志向」「粘り強い」「ル−ルを守る」
 「基本的資質」から派生する、というのは、たとえば、仕事に対して「木目細かい」という「性向」は、基本的資質の「生真面目」「働き者」「繊細である」という資質に由来するものである、と考えてよいであろうからである。
 しかし、これらは、まだ「性質」あるいは「性向」の段階であって、国民性としての具体的な現象ではない。あくまで、そのような傾向がある、という程度である。だから、「要因」と名付けているのである。

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  • 2008.08.22 08:22:07

7淡白である
 しつこくなく、あっさりとしていることである。
 今や、和食は、健康食として世界中に普及しつつある。和食は素材の味を生かした淡白な料理で、刺身、寿司、てんぷら、すき焼き、いずれも淡白な味で、洋食や中華料理のように、油、塩、香辛料、調味料などでごてごてとした料理ではなく、コレステロ−ルや脂肪分が少ないところが、健康食として評価されているのであろう。
 文芸にしても、「わび」「さび」の精神を基調とする茶道や華道、17文字のなかに、過不足なくひとつの世界を描き出す俳句や、31文字の短歌、自然界をそのまま縮小したような日本庭園などは、日本人の淡白さを象徴するものであると言えよう。
 第二次大戦で、ユダヤ人のホロコ−ストを除けば、民間人に対する最大、最悪の虐殺行為は、廣島、長崎に対する原爆投の投下であろう。
 この憎しみて余りある蛮行に対しても、日本人は、「戦争なき世界」「核兵器の廃絶」は訴え続けているが、廣島、長崎の下手人である米国に対して憎しみをぶつけることはなかったのである。
 悔しい経験であっても、過ぎ去ったことを何時までも根に持たないのも、この淡白さに由来するものであろう。
が、その反面、日本が戦争などで被害を与えた相手に対しても、同じ感覚で接するから、過去の怨みを根に持つ国民からは、反省が足りない、歴史認識に欠けるなどと非難を受けることにもなるのだ。

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  • 2008.08.21 10:24:51

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