カジュアル哲学
オーナーオーナー:和寇の末裔   メンバー数メンバー数:13人   最近1週間のメッセージ数:6通
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 従来の思弁的哲学を踏まえながら、日常の諸身辺の問題について、哲学的考察を加えようとするサ−クルです。いわば普段着の哲学です。

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 こういう繰り返しの毎日だから、修行の間に、体重が15キロも減るという。
 ある寺の住職に「こんな食事では栄養不良になりませんか」と問うたら、「いや、確かににそうです。だから、それを防ぐために、適当に補食するんですよ」と答えられたことがあった。
しかし、雲水の日課を見ると、雲水にそんなものを買いに出る時間があるとは思えない。それが本当だとしたら、「ヤミ差し入れ」の特殊ル−トがあるのかも知れない。
 最初の一週間の「旦過寮」での修行に合格した者が、入堂する際に許される「娑婆銭」(通貨)は1000円ぽっきりで、このカネは、本人が修行中に死んだ場合の処理料だという。
 作務でも食事でも入浴でも、その作法、所作は事細かに決められており、それを少しでも間違えば、先輩僧から、殴る、蹴るのこっぴどい仕打ちを受けるという。
 このような、厳しい雲水生活に耐えられずに逃げ出す雲水もいるが、彼等は、町ぐるみの捜査網にひっかかって、ほとんどが連れ戻されるという。
 この雲水修行は1年で終わるが、それで修了証書が交付されるわけではない。
 この雲水修了証書は「印可のげ」というが、江戸時代の著名な良寛和尚が「印可のげ」を授かったのは雲水になってから、11年後だったというから、1年やそこらで修了するものではないのだ。雲水たちは、それを貰おうとも思ってもいないのではないか。
 永平寺で雲水修行した僧たちは、それだけで箔が付いて、その殆どが寺に帰って、住職である父親の下で「副住職」におさまるのであろう。


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2008.07.31 10:39:45

 永平寺の修行が厳しいことは有名だが、その修行の実態を概観してみよう。
 修行希望者は、まず「旦過寮」に入れられて、一週間、座禅だけさせられる。ここで修行に対する意気込みが試されるのだ。
「振司」という名の「お振れ掛り」が、早暁3時30分(冬場は4時)「洗面版」という木板を叩いてまわる。寝具を片付けて、5分で洗顔、座禅にはいり、座禅が終わると勤行を行なう。
 勤行が済むと、小食(朝食)、かゆと梅干だけ、姿勢を崩さず、音を立てず、私語も一切禁止である。時間は5分。小食後、座禅が続く。
 中食(昼食)は白米とお菜、肉、魚は勿論ない。「薬石」(夕食)は、麦7割りのご飯とお菜。その間は座禅である。「開枕」(就寝)は21時頃。
 こうして一週間経つと、厳しい審査が行なわれ、これに合格した者は「入堂」となり、修行僧として僧堂に入ることが許され、「衆寮」に移る。
 修行僧(雲水)になると、座禅、勤行のほかに、「作務」すなわち、「動の座禅」と言われる業務を分担させられる。業務は「受け処」参詣者対応、「典座」食事を作る、清掃、雪かき、杉起こし、下草刈り、雪囲いなど様々で休憩時間は殆どない。
 「放散日」(休日)は4、9の付く日で、この日は、座禅、作務はなく、「浄髪」(剃髪)、「開浴」(入浴)がゆるされる。が、休日でも外出は勿論禁止である。
 これが雲水のおおよその日課である。


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2008.07.30 09:12:19

 寒行
 寒中に網代笠をかぶって般若心経を唱えながら家々を回り、家内安全を祈念して御札を配る。
 日蓮宗のなかには、「寒の荒行」と称して、寒中、食事は朝夕、粥をすすり、梅干をかじるだけで、夜中の3時から11時までの間に7回「水垢離」をするほか「讀経」「木剣相承」「写経行」をする寺もある。
 
 これらが、修行僧にほぼ、共通している修行内容であるが、その他、修行中の雲水に課される、水垢離、行脚、遍路、写経、坊内での掃除、洗濯、炊事、配膳、参詣者の応対などすべてが修行である。
 「修験道」というのがある。「山伏」と言うほうが通りがよいと思うが、これは仏教とつながりはあるが、これは仏教ではなく「山岳信仰」である。
 その目的は、山岳に篭って、滝に打たれたり、法螺貝でお互いに合図しあいつつ、山々を駆けめぐり、そこここにある道祖神や祠に祈りを捧げたりしなから、山の霊気を浴び、自給自足の荒行によって、自分の中にある可能性を引き出し、実現させる目的で行なわれるものであるから、僧の修行とは別である。
 修行僧の修行なかでも特に厳しいといわれている二つの例を紹介しておこう。
・永平寺の修行
 永平寺は、1244年に道元が開山した寺で福井県にある曹洞宗の大本山である。
 役僧と称する僧が30人、そこで修行する修行僧即ち「雲水」は常時約200人、修行期間は大体1年間てである。


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2008.07.29 07:46:40

・修行にもいろいろある
 仏教の修行僧の修行の種々相をあげてみよう。
 勤行(ごんぎょう)
 早朝と、夕刻に、本堂の本尊の前で経典を唱え、合掌、礼拝する一番基本的な修行である。
 座禅、あるいは阿字観
 作法に従って座して、雑念を断ち切り、意識を集中させ、無念夢想の「無」の境地に入るようにする修行。中国の達磨大師は「面壁九年」、9年も座禅を続けた、と言われる。
 その基本は「呼吸法」であると思う。深く息を吸って、長く息を吐くようにし、呼吸のことだけに神経を集中するのである。
 高僧の場合だと、座禅中は脳波のなかで「アルファ−波」が増え、リラックスしていることが分かるという。
 托鉢(たくはつ)
 出家者は、所有欲を否定するために、「三衣一鉢」の最低限の必需品しか持たず、修行に専念するために農工業、などの生産活動は行なわないから、生活必需品は庶民からの喜捨でまかなわねばならない。そのために町、村を練り歩いて、米飯、食料、金銭などの喜捨をうける。辻に立ちんぼうして、喜捨を受ける場合もある。
 ビルマ、カンボジア、タイなどの仏教国では、鉢を持って歩く僧の行列が、毎朝の行事になっており、托鉢僧に喜捨することが、死後、極楽へ行ける保証になるのだと、民衆は思っている。


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2008.07.28 08:24:36

 だから、厳密には、「武者修行」や「花嫁修行」は「修行」ではなく、「修業」の字を使うべきであって、「修行」は僧籍にある者あるいは在家の篤信家の身心の鍛錬に限定するのが正しいと思う。
・宗教によって違う修行
 何故、聖職者が修行しなければならないか、その意義と考察は後で述べるが、その前に、その修行のやり方に触れておこう。
 修行のやり方は宗教、宗派によって異なる。
 カソリックの修道士は、人里離れた寂しい修道院で、自給自足の生活を営むのが修行である。
 畑を耕して、小麦を蒔くというような畑仕事から、小麦を収穫し、製粉してパンを焼き、家畜を飼って、ミルクを絞り、チ−ズ、バタ−を造る。炊事、選択、清掃、修理仕事まですべてをこなす。 こうして、自給自足の生活をしながら、聖書を読み、宗教書をひもとき、日に何度か祈りを捧げる、という生活全体が神に仕える者としての修行なのだ。
 キリスト教の祭礼の行列のなかに、上半身裸になって、手に持った鉄製の鎖で自分の背中を打ちながら血を流して歩くとか、木の太い、大きな十字架を背負って歩く、というような光景を見ることがある。
 あれは、一般人の篤信家が、キリストが、受難の際に受けた苦難に近い体験をするためにやることであって、修道士の修行ではない。
 イスラムの僧は、コ−ランを音読し、日に5回、メッカの方向に向いて、礼拝をすることが修行なのだ。
 仏教僧の修行は、更に厳しいものがある。これについて少し詳しく述べておこう。
 


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2008.07.27 09:15:25

・修業と修行は違う
 修行という文字の上付く塾語はいろいろあるるが、子ども時代に馴れ親しんだのは、「武者修行」である。
 武芸者が、自分の腕前を試し、剣の技を磨くために、全国を行脚して、剣の道場を訪れて試合を申し込み、勝ったり、負けたりして旅を続ける物語である。剣豪、佐々木小次郎や宮本武蔵などが子ども心をときめかせたものである。
 昔、演歌歌手藤島恒夫が歌った「月の法善寺横町」というヒット曲があった。
 「包丁一本、晒に巻いて、旅にでるのも板場の修業・・」という出だしの歌詞にある。「板場の修業」、これは料理人としての腕を上げるために全国各地の料亭に雇ってもらって、いろいろな料理を覚える「板前修業」である。
 また、「花嫁修業」というのもある。これは主婦としての家政の切り回し方を学ぶためのものであろう。
 これらは、いずれも「修業」である。「修行」とは違うのである。
 「修業」は文字通り、「業を修めること」、「業」とは、対価を得て、やらせてもらえるような技能、技術を身につけることである。即ち、仕事の技能、ノウハウ、スキル(かんとごろ、コツ)を体得することである。
 これに対して、「修行」は、なにかの「技」を身につけるというより、身心を鍛えることが主である。「業」と「行」は意味が違うのである。


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2008.07.26 10:16:52

 だが、百歩譲って、神や霊があるとしても、それが善霊であろうと悪霊であろうと、次の三つのことだけは確かである。
 1神や霊にはカネは要らないし、カネは使わないから、人間にカネを要求するはずはないこと
 2カネを要求するのは、霊と人間の媒介をすると詐称するいかさま師がぽろ儲けるためであること
 3媒介してもらったとしても、それは、自分の気休めのために、他人に時間を使わせたことに対する謝礼としての「お志」で十分である。そうでなく金額を明示して要求するのは詐欺行為てある証拠であること、コストは掛かっていないのである。
  この三つを頭に入れておけば、貯金はたいてっすてんてんになることも、後で失敗したと後悔することもないはずである。
 カソリックの修道士は、私財は三つしか持たないという。「僧服」と「バイブル」と「僧服の紐」だけである。この紐には、修道院に入る際の誓いである「清貧」「貞節」「従順」を象徴する三つの結び目がある。
 これが神や霊と人間を媒介する機能を果たす者の在るべき姿であろう。
 心が晴れない、心が沈み込むんでしまことが多いようなら、心療内科の医師に診てもらって、カウンセリングを受けるとか、軽い「向精神薬」を貰って飲むほうが、はるかに有効だし、保険がきくから経済的でもあるのだ。
 「神がかり」「霊がかり」の「癒し」や「ヒ−リング」は一切インチキだと思うべきである。
 これが「癒し」「ヒ−リング」の真理である。
 


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2008.07.25 07:49:07

 こういことにまんまと、引っ掛かるひとの心の底辺には、神とか霊とか、人間の何千年の歴史のなかで、その存在の物的証拠どころか、状況証拠も何一つない、眉唾至極なものに対して疑念を抱かない心情があるのである。
 「癒し屋」としては「こうしなさい、ああしなさい」という常識的な助言だけでは大したカネはとれない。「お前さん自自身は能力はあるが、先祖に問題があるとか、前世に問題があるとか言えば、反証のあげようもないし、そこで「霊能力の高い先生に『徐霊』してもらう必要があります」と持ちかけてくる、というシナリオなのだ。
 大丈夫かな、と一抹の不安はよぎるが、ここまでやってきたのだから、とことんやってみようか、という気になるのであろう。
 こうして、全財産を使い果たして、絶体絶命の境地に立たされ、「さあ どうしよう」と途方にくれる、そこで初めて目が覚めるのである。
 非科学的だ、と斬って捨てるのではない。現在までの科学では分かっていないことは沢山ある。が、生命まで人が創る時代だけど、存在しないもを「存在しない」と証明することは極めて困難。それは「前世は云々であった」ことを否定も肯定もできないのと同じである。
 神や霊の問題は、信ずるか、信じないかだけである。教育の如何によるものでもないと思う。信じるのは素直な、暗示され易いひとで、信じないのは反骨、立証精神の旺盛なひとなのであろう。
 
 
 


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2008.07.24 09:43:24

 男性と女性を比べた場合、男性にとっては、自分の生活水準は自分の能力、才覚によって決まるものだが、女性の場合は結婚する相手方の如何によって左右されてしまう。その意味で、女性の方がその未来は不安定であると言える。それだけに、女性の方が男性に比べて、「占い」とか「霊能」で、自分の未来を覗いてみたいという思いが強くなるのも当然であろう。また、その未来の幸せを妨げる要因があるならば、それを取り除いておきたいと思うのも当然である。
 これが、若い女性に「霊能ファン」が多い所以の一つであると思うのである。
 精神的に行き詰まって「うつ」状態になれば、心療内科に診てもらうであろう。ひれほどではない状態で、心配と好奇心と面白半分とが入り混じった心情で「癒しサロン」を訪ねるのであろう。
 行ってみて、親身になって話を聞いてくれ、理解を示してくれる優しい扱われ方に接して、暗示に掛かり易い、素直な性格の人は、初めのうちは、料金の安さもあって、行ってよかった」と思うのであろう。
 「貴女には能力もチャンスもあるが、それを妨げているものがある。それは「貴女の前世の問題」だとか「先祖の問題」だ、とか言われれば、検証のしようもないし、それなら、その「徐霊」をしなければ、と思わせられ、高額の「霊感商品」や「徐霊の儀式」を受けさせられ、あり地獄に嵌ってゆくのである。
 これが「霊感商法」の定番コ−スなのだ。
他の客も、動機は違っていても、相手の手口や引き込まれるプロセスは同じであろう。


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2008.07.23 09:24:09

 こ問題に触れる前にもう一つの事例を紹介しておかねばなるまい。
 女性向けの雑誌には「開運グッズ」と称する広告が沢山掲載されている。そのなかから男性との交際の進展を期待して26000円の「イヤリング」を購入した女性がいた。
 1週間で効果が表れる、といううたい文句であったが、3月経っても期待した効果はなかった。そこで、販売元に問い合わせたところ、「そんなことを言ってきた人は貴女が始めてです。みんな効果があったと言ってきますよ。貴女の場合は特殊ですから、霊能の先生に尋ねてみますから、手の形を送って下さい」という返事。
 手の形をとって送ると、2,3日後、霊能先生と称する男性から電話があり、「貴女の前世は男性で、有夫の女性と不倫をし、それがばれて彼女の夫が自殺してしまった。その夫の霊が貴女の幸せを妨げていることが分かりました。それを徐霊しなければ幸せにはなませんよ。その徐霊の費用は115万円掛かります」と言われた。
 前世と言われれば、信じなくても、そんなこにとは反論のしようもないのだ。それが詐欺師の目の付け所なのである。
 これは「幸運グッズ」の購入者が泣き寝入りすればよし、もしクレ−ムをつけてきたら、それを逆手にとって、更なる詐欺に引っ掛けようとする「詐欺に追い銭詐欺」なのだ。
 多重債務で、何軒もの闇金から脅迫的督促に逃げまわり、悩まされている多重債務者に「債務を一本化して、低利息にしましょう」と持ちかけて、手数料と称して、カネを巻き上げる「追い打ち詐欺」と全く同じなのである。
 こういうものにまんまと引っ掛かるのも若い女性なのである。
こんな手口もあるのである。 さて、本題にもどろう。


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2008.07.22 09:10:55

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