カジュアル哲学
オーナーオーナー:和寇の末裔   メンバー数メンバー数:13人   最近1週間のメッセージ数:5通
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 従来の思弁的哲学を踏まえながら、日常の諸身辺の問題について、哲学的考察を加えようとするサ−クルです。いわば普段着の哲学です。

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 カントは「他人は常に目的そのものとして扱うべきで、何かの手段としてだけ扱ってはらない」と述べている。
 これは、人間を生産手段としてはならない、と言っているのではない。彼の生家は馬具屋であったから、多くの馬具職人を使っていたであろうし、労働の対価をきちんと払って生産手段として人を雇うことは、正当な雇用契約行為だからである。彼が言うのは、自分の利益のために人をだしにするようなことは許されないということであろうと思う。
 「企業は人なり」というが、企業経営を支えているのも人である。つまり、「人」は企業にとっては財産なのだ。企業と人との関係は、日本の場合は出来上がった人が企業に入ってきて、企業を支えるのではなく、未成熟の人間を採用して、給与を払ってその人を育てあげ、その育った人が企業を支え、また、次ぎの人を育てるという連続で企業が維持されているのである。従って、このように「人」は企業にとっては「宝」なのだから「人材」という言葉でなく「人財」と呼ぶのが相応しいと考える。これは、人を「人的資源」ではなく、「人的資産」と呼ぶのと同じ考えに立つものである。
 バブル崩壊以降、アメリカ並みの人の使い捨てが流行ってきているが、これは間違いだと思う。年功序列は排すべきだが、終身雇用は、日本の良き雇用慣習として守るべきである。キャノンのようにそれを守っている会社もあるのだ。


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2006.07.30 12:07:26

 ものの生産やサ−ビスの提供に必要な要素が資源である。一般的には、「人」「もの」「かね」と言われるが、このうち「かね」は資源とは言わない。資金と資源とは区別されているのである。「かね」はものではないから、資源は「もの」に限定しているのであろうが、「人」はものではないのに、「人的資源」と言われる。鉱物、海洋、森林、水などは、天然自然のものであるから、それを利用する人間にとっては、資源そのものであるが、これらと同列に人間を資源という言い方には抵抗を感じる。
 18世紀から19世紀にかけて、アリリカ新大陸の開拓のためにアフリカから黒人を略奪してきて、ただ同然の労働力、すなわち奴隷として酷使した時代にはアフリカの黒人を、まさに人的資源と考えていたのかも知れないが、そんな感じの言い回しの感がある。
 労働力になるには、一定の教育をうけなければならない。義務教育だけの中卒であっても、労働力となり得る基礎知識は持っているのである。 
 天然物を加工して、付加価値をつけたものは「資源」とは言わない。資産と言うのである。この考え方からすれば、労働力になりうる人間は「資源」ではなく「資産」というべきである。


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2006.07.27 12:34:51

3天皇が直属の軍勢を持たなかったこと
 古代の一時期の天皇親政の期間を除いて、天皇には直属の軍隊はなかった。戦いは、ときの権力者を「征夷大将軍」に任じ、これに任せられたのだ。明治憲法では、陸海空の軍は「皇軍」と称されて、天皇はこれをを統括する大元帥陛下であると規定されてはいるが、実質的にはお飾りに過ぎなかった。
 軍を持っていれば、これを使いたくなるときもあったであろうが、軍がないから戦いとは無縁であったのである。これで天皇家は戦乱に巻き込まれずに済んできたのである。

4生活が質素であったこと
 朝廷の財政規模は、吹塵録の禁裏御料によると、足利幕府時代は3千石、豊臣時代は7千石、徳川時代には1万石に過ぎなかった。これは小大名並の規模であり、その他の臨時費を含めても年間3、5万両、現在の価値で30億円ないし45億円に過ぎなかった。現在の宮内庁予算規模は70億円くらいだから、大体そんなものであったであろう。
 これは、栄耀栄華を見せ付ける欧州や中国の王室と比べても著しく低く、宮殿も質素であり、この面でも庶民の反感を買うことはなかった。

5官位授与の元締めであったこと
 かねの次ぎに地位、最後に勲章を欲しがるのは、人間共通の慾のようだが、朝廷は官位授与の元締めであった。時の権力者といえども、自分で自分に官位を授けたのでは価値がない。朝廷という第三者の権威から授与されてこそ、一般にも認められる価値が付くということであろう。こうして宮中序列である官位を授けるところとして朝廷は尊重されたのである。

6「お伊勢様」の効用があった
 イスラム教徒は一生のうちにイスラムの聖地メッカ巡礼をすることを念願としているが、日本の場合は天皇家の元祖天照大神を祀ってある「お伊勢参り」である。これは平安、鎌倉時代から盛んになったもので、「無尽」のようにカネを出し合って、くじに当たった者が伊勢参りをする「伊勢講」さえもが全国に普及したのである。
 いまでも、新年には閣僚や政党幹部が伊勢参りをすることが慣習になっているのだ。
 このような、伊勢神宮、お伊勢様の効用も天皇家を支える力となっていると思う。
 
 この六つが天皇家を長続きさせている要因と考えられるのである。これは今後も変らないであろう。


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2006.07.23 11:51:13

 理由がよく分からないことを考えてみるのがカジュアル哲学の一つだ。「天皇家が何故長続きするのか」というテ−マも、よく分からないものの一つである。
 現在の天皇で125代目、年代の不確かさはあるが、初代の神武天皇は、紀元前600年くらいだというから、二千数百年も連綿として繋がっているのだ。これほど長い歴史を持つ王家は他にない。
 その理由は5つあると思う。
1天皇が直接統治してこなかったこと
 天皇が親政したのは、古代の一時期だけで、やがて貴族が台頭して天皇をまつり上げて、貴族による摂政、関白政治に移行、鎌倉時代以降は、武装武士が政権を握る幕府政治が明治維新まで続いた。幕末の大政奉還で、親政に移るかに見えたが、実質的には官僚、政党、軍部が政治の実験を握り、天皇はお飾りに過ぎなかったのである。
 このことが、失政の責任を天皇が負わされることがなく、天皇家転覆の危機というようなものを回避できたのである。太平洋戦争でも天皇の責任が問われなかったのは、この理由が大きいのである。

2家元を大切にする風習があること
 日本古来の芸事ではすべて「家元制」がある。お茶、お花、三味線、舞踊、書道すべてそうである。その芸事の創家が宗家として、弟子に対して指導、教授を行い、一定のレベルに達したら「名取り」としての称号を与え、師範となることをを許可する、こういう制度がある。これを大切に維持していっているのである。
 そういう風習がある日本で、天皇家は最大の「家元」視されているのではないだろうか。
 


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2006.07.22 15:12:27

 「分かる」ということはそんなに簡単なものではない。「本当に分かる」までには5段階ある。
 まずも「分からない」段階である。これが第一段階。
 次ぎは「分かったか、分からないか、それが分からない」段階である。ものの本を読んだり、講義を聴いたりしても、この段階は必ずある。何を質問してよいかが分からないと感じるのはこの段階である。これが第二段階。
 次ぎは、「分かったつもりになる」段階である。自分では「分かった」と思うのである。しかし、実は分かった範囲でしか分かっていないし、それでは不十分なレベルである、と言う段階である。これが第三段階。
 次ぎは「自分では、分かったつもりであったが、やはり分かっていないことが分かった」という段階である。分かっていなかったところに気が付いてきたのである。これが第四段階である。
 第四段階で「分かっていない」と気が付いたところを勉強し直して、やっと「分かった」という第五段階に到達できるのである。

 参考図書
 村上新八著 「カジュアル哲学で世界を斬れ」 (リフレ出版)


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2006.07.19 11:41:11

 国家の基本的な機能は、国民の生命、財産を護り、国全体を繁栄させることである。「国益」とはそのために、国全体的に見て、プラスに作用するであろう、と判断されることだ、と言えよう。
 この国益が問題になるのは、外交面においてである。内政面では、すべてが国益を増進するための施策であるはずだから、国益云々は議論されない。そうでない政策も少なくないが、それはその施策を決定した際の誤りであって、国益に叶うものという前提で決定されているものだからである。
 しかし、外交面では、他国との間での相互の国益に基づいた交渉になる、つまり相手国も自国の国益を通そうとするし、相互の国益は齟齬する場合が多いから、そこに軋轢も生じる。だから、大局的、長期的な判断も、譲り合いも必要になるのである。それが外交なのである。
 この「国益」は、上述のように、国全体的な見地から決められるべきものであるが、独裁国家の場合はいささか違う。「国益」は国全体的な観点からでなく、「独裁者の利益」という観点で決められてしまうのである。独裁者の利益とは、独裁体制の温存、擁護とか、独裁者の地位保全という見地である。これは「国益」ではなく独裁者の「私益」なのである。
 北朝鮮の金正日体制が好例である。北朝鮮人民にとっては、核兵器やミサイルのの開発などやめて、日本の拉致問題を解決して、米国、日本と友好関係を結び、日本から1兆円とも言われる経済援助を受けて、国の経済基盤の整備、構築をすることが最大の「国益」なのだ。資源もなにもない北朝鮮に進攻しよとする国はないのである。
 しかし、それは、金正日の独裁体制を崩壊させるリスクが伴うとして、この道をとろうとはしないのである。
 このように、独裁国家の「国益」とは独裁者の「私益」なのである。
 
 


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2006.07.17 12:27:01

 イスラム過激派の自爆テロは、パレスチナが発祥の地だが、これをアルカイダが取り入れ、9.11をはじめ、イラクから最近はアフガンにまで広がってきているという。まことに厄介なテロである。
 このイスラム過激派の自爆テロは、太平世戦争末期の日本軍による「カミカゼ特攻隊」を真似したものかどうかは分からないが、その意味は大分違う。
 「カミカゼ」は一身をなげうって敵艦と心中し、国家に尽くそうという心情の発露であった。そこには、私欲は全くないのだ。が、イスラム過激派の自爆テロは、「極楽行き願望」なのだ。
 イスラム過激派では、「ジハ−ドで殉教した者は、天国に召されアッラ−の傍らで、至福の生活が保証されている」と教えるのである。そのような教育が徹底しているから、10台の少年でも「ジハ−ドをやって殉死したい」と願っているという。
 この世に生きていても楽しいことはなにもない。将来に希望など全くない、と言う現実があって、「天国行きの道」が示されれば、躊躇なく後者の道を選ぶことなるのであろう。
 こうして、「絵空事の極楽行き片道キップ」を信じて自爆して命を落す多くの青年たち、これほどの悲劇はあるまい。「カミカゼ」の青年より、はるかに哀れでやり切れない。
 


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2006.07.16 07:36:45

 ショ−ペンハウエルは「病苦と貧困をのぞけば、論陣の最大の敵は退屈である」と述べている。リタイアした老人には、毎日が日曜日だから、「退屈」といのは分かるが、現役のサラリ−マンでも3日連休でもなれば、忽ち退屈が襲ってくる。仕事人間が多いからである。
 退屈とは、何かやることがないかな、と探しても何も考え及ばず、やることがなくて、困っている状態を言うのであろう。
 人は、退屈しのぎのネタを外に求める。勝負事、社交、スポ−ツなどである。しかし、それは一時的であって、その暇つぶしの時間が過ぎれば、また、退屈が襲ってくるのである。
 ショ−ペンハウエルは、「退屈の解消を外部に求めてもダメである。内面に求めるべきだ」と言っている。内面とは自分ひとりでできることの意味である。自分ひとりで出来て、自分が没頭できることがあれば、確かに退屈はしないで済むであろう。
 ショ−ペンハウエルは哲学者で文筆家であったから、ものを書いたり、考えたりすることは沢山あったであろう。しかし、それだけではダメだと思う。外とのつながりが必要なのだ。つながりとはものを書いて、それを出版などの形で発表することである。書いたものを積んでおくだけでは、人はやらなくなるであろう。それは丁度、点数のない麻雀みたいなもので、人は、自分がやったことに対する外からの、何らかの反応がないことをやっても続かないのである。反応というのは、評価とか批評が実際にある、ということではかならずしもない。そういうものが期待できるところに発表できればよいのである。それが遣り甲斐ということであろうと思う。
 その意味では、今日の社会では、パソコン、インタ−ネットがあるから、投稿、発表は自由にできるので、その意味では大変退屈をしのぎ易い世の中になった、とは言えるであろう。


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2006.07.15 14:06:57

 戦前の中学生はよく、先生に叩かれたものだ、理由は宿題を忘れた、教科書を忘れた、サボった、ル−ル違反をした、などであった。硬い数学の本の背で頭をコツンとやられたりしたものであった。これも今流に言えば暴力になるのであろう。しかし、自分が悪いのだから、と納得していた。「お仕置き」として受け容れたのである。
 暴力を定義すれば、無抵抗、或いは有効な反撃ができないでせいぜい避けようとするくらいしか出来ない者に対して、意識的に、ひっぱたく、蹴る、こづく等の物理的な衝撃を加えること、となろう。
 このような暴力には3種のものがある。
1 反射的に身体が反応してしまい、その結果瞬間的な暴力行為に
  なる場合。これは繰り返されることはない
2 「気に食わない」「いうことをきかない」「ただ憎い」などの  理由で、意識的に暴力を加える場合。この場合は暴力を振るう  自分に興奮して暴力が執拗に繰り替えされる場合が多い。ドメ  スチック・バイオレンスの場合によく見られれる
3 罰として暴力を加える。これも繰り返しはない。これは暴力と  いうより「お仕置き」である。
 1は、夫からひどいことをされた場合とか、子どもが、許せないことを言われた場合など、女性でもやる場合がある。瞬間的に手が出てしまうのである。
 このうち、暴力を振るわれた方が、「やむを得ない」自分なりに納得して、憎しみや恨みを抱くようなことがない場合や、3の軽いお仕置きの場合は容赦されてよいのではないか。冒頭の学校の先生の場合がそうであると考える。
 しかし、2については、絶対に許さるべきではない。 


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2006.07.14 14:14:50

「それが運命だったのでしょう」などとよく言われる。「運命」とは「さだめ」「めぐり合わせ」「天命」などと同義語である。これらの言葉は、人が生まれる前からアプリオリに決められていたもの、という語感を持っている。そうなると人間にはどう仕様もない、お手あげだ、ということになるのである。
 この言葉は、凶事が起こった場合にだけ使われる。愛する家族が亡くなった、大病に罹った、家族全員が自動車事故で亡くなった等などの場合に「それが運命だったんだ」なとと使われるのである。「運命」なら吉事もあって当然だが、「子どもが生まれた」「結婚した」「3億円の宝くじに当たった」などの吉事には「運命だった」とは絶対に言わないのだ。
 つまり、凶事の場合に「これは運命であり、人間の力ではあがらいようがないことだから、諦めるしかないよ」と自分に言い聞かせる「諦観のつぶやき」なのである。だが、これで哀しみが癒えるわけでもない、諦めが付くわけでもないのである。
 「運命だ」と思うことは「誰の責任もない。決められていたことなのだから」ということになってしまう。これでは医療事故で亡くなったとしても、その責任追及、原因追求、再発防止の気力が萎えてしまいかねないのだ。
 「運命論」は、このように、問題を隠蔽してしまう、有害な思想と言わざるを得ないものである。


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2006.07.13 09:16:05

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