「目的へいたる過程そのものが自己目的化した運動体または運動である」
とのことですが、この定義では全体主義を表せているとは思えないのですが...というか、そのような自己目的化は、むしろ全体内の小グループ内において起こりやすいのではないかと。大日本帝国陸海軍の対立からくる自分達の規格を優先させようという意図が、戦争に勝つという目的よりも優先される事態を生んだように。全体主義というよりは、小セクト主義を表す定義ではないか。
また、「過程そのものが自己目的化する」ことは、どんな社会でも起こり得ることであって、全体主義の特性とは言い難いと思います。ちなみに、一般的な定義は以下のようなものでしょう。
【全体主義 ぜんたいしゅぎ】 (エンカルタ 2001年度版より抜粋)
一般的には「個」に対する「全体」(国家、民族、階級など)の優位を強調する思想や社会運動をいう。
政治学では、20世紀特有の「大衆の国家」に出現した、すべての社会的、政治的、経済的、文化的活動が、1人の支配者の目的に従属するように、一元的に統一された独裁政府とイデオロギーのシステムをさす。
20世紀の全体主義を特徴づける指標として、アメリカの政治学者カール・フリードリヒがあげる6つの特性がある。すなわち、
(1)単一の国家公認イデオロギーによる支配、
(2)独裁政党による支配、
(3)秘密警察によるテロ支配、
(4)国家による情報の独占、
(5)国家による軍と武器の独占、
(6)強力な中央統制経済である。
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私の考えでは、
ようするに、自由の否定と、暴力や国民全体の監視による国家統制社会とでもいうべきものであるようです。だから、ナチスも、大日本帝国(昭和初期)も、ともに全体主義だということになります。
ここで重要なポイントは、「国民全体の監視」です。これなしには、全体主義とはなり得ない。いくら自由を制限しようとも、それだけでは全体主義にはなれない。
そして、国民全体を監視する為には、警察権力だけでは不十分です。秘密警察による隠密諜報や、国民同士による密告が必要になる。とくに、民衆自身による密告によって「反政府分子」を摘発することができる状態を作り上げることこそが、大事だということになる。
★ 毛沢東は、まさにそれの名人だったそうです(参照「毛沢東の真実」)
政府の悪口を酒場で披露すれば、翌日には豚箱に入れられる。全体主義とは、そういう社会をいうのでありましょう。さて、そうだとすると、戰後の一時期、旧日本軍の戦車だったか零戦だったかの模型を持っているというかどで、GHQに密告された校長先生がいたとかいう話がありますが、この密告をした人間の脳内では、いまだに全体主義国家が存在していたということになります。
さらにいえば、北朝鮮や中国にたいして「波風たてない外交」を標榜してきた人々もまた、一種の全体主義者であったということになります。波風をたてるな、自由な批判を許さない、という行為は、自己の見解にたいして絶対服従せよというに等しい。

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